空を飛んでいたころ
雨あがりの好天なのに、もやっとした視界の悪い日だった。花曇りとでもいうべきだろうか。
用事があって車でちょうど白山麓の方に向かっていると、もったりとした緩慢な空に点々と小さな物体が見えた。
バラグライダーである。そこは、獅子吼高原という、日本有数のパラグライダー飛行エリアである。それにしても平日の昼下がり、優雅なものである。
パラグライダーが日本に入ってきて普及しはじめたのは、もう20年以上前のことだ。そのころよく通っていた、金沢にある山とスキー用品の店の親父が、そんな草創期のパラグライダーに目をつけ、小さなスクールを立ちあげた。
スキーやスキューバなどを初心者がいきなりマスターできないように、ましてや空が舞台のこのスポーツは、自由に飛べるようになるまでそれなりの訓練と勉強、そして経済的負担をもとめられる。
航空理論や航空法、気象、無線、レスキューなどの知識、実技。車の免許と同じように、学科試験があり実地試験がある。今の制度のくわしい内容は知らないが、おおむねそのころと変わらないのではないだろうか。
で、晴れて「P証」(パイロット証:飛行免許)を得るころには、そこそこの軽自動車1台買えるくらいの投資になってしまう。
それは当時の話しなので今はどうかわからないが、いずれにしても、ちょっとやってみようか、と思いつきではじめるようなとっつきやすいスポーツではない。
そして、資格を得ても、それをつづけるためにまたお金がかかるのである。ゲレンデでスキーをするのと同様、飛行エリアを利用する直接費用はもちろんのこと、こういう免許がからんでいるところに利権は存在するので、いやだと思ってもその手の費用も徴収されるのである。
車の免許更新のたびに、安全協会に会費を払うような感じではあるが、規制の網はかなり巧妙である。
僕も、軽自動車のセカンドカーが買えたはずである。でも、連れ合いに借金までしてのめりこんだ熱は、あるときスッとさめた。
大空を浮遊することに未練はあったけれど、飛ぶためのパラグライダーをめぐる環境が自分に合わない、と思ったからだ。まあ、ちょうど仕事も忙しくなっていった時期でもあった。
その当時買った機体はまだ物置に置いてあるけれど、もし使えるならまた飛べそうな気はする。でもたぶん、ツリーランディング(不時着して木にひっかかる)でレスキュー要請ってところだろうなぁ。
つまらない回想にうつつをぬかしていたら、こんなところまできてしまった。なので、今日はとくべつメッセージなどありません、ハイ。(;O;)
(photo:ムラサキダイコン。庭にて)