新しい疲労の種類

 スーパーで買い物をすると疲れるようになった。とはいえ、店内で飛んだり跳ねたりするわけではないから、当然肉体的なそれではない。
 思いあたる原因はというと、食品や製品一点一点に思いをめぐらせて、OKのサインを出してからカゴに入れているからだろう。
 たとえば、今夜カレイを食べたくなったとしよう。生鮮魚コーナーへ行ってパックに入ったカレイを見る。そのラップの上には、彼らが水揚げされた漁港や値段が印刷されたシールが貼ってある。
 日本海側の港のなまえが記してあっても、お前はほんとうはどこにいたの? とこっそり聞いてみたい衝動に駆られる。まさか、太平洋側からはるばる燃料費をかけて運ばれてきたとは思えないけれど。
 牛肉を買う。熊本産、などと書かれている。キミはほんとうはどこに住んでいたの? とそっと聞いてみたい衝動に駆られる。
 加工食品となると思考停止せざるをえない。ましてや外食では、すべてブラックボックスである。もっとも、外で食べるときはそういうことは考えない。飯がまずくなるからなぁ。
 「石川産ほか」、というような野菜の産地表示を見かけた。感心した。なかなか考えたものだ。
 しかし、疑えばキリがない。あるいは、そんな努力をしてもムダである、ともいえる。放射能汚染はくまなく広がっているのだから。おおざっぱにいえば、もはや日本に安全な食べ物などはない。といえるのだろう。
 汚染された食品を積極的に食べ(飲み)たいとは思わないが、僕のような後期中年者は、めんどうくさいのであまり神経質になりたくはない。
 でも、同居している子どもたちは若いから、少しでも汚染の少ない(と思われる)食品を食べさせたい。それは親心であるが、この国の将来を担う若者に対しては当然のことと思う。
 そういう背景がおおいかぶさっているので、どうしてもスーパーを出ると、一仕事終えたように疲れを感じてしまう。
 それともうひとつは、汚染された状況下でも生産しつづけるしかない、事故原発に近い農家に対しての忸怩たる思いもあるからだろう。
 いずれにしても、政府の食料品への汚染対策、安全対策は問題外のさらに外である。(-_^:)
(photo:今年は梅も遅かった)