テレビの愚、ラジオの具
4月は、テレビ、ラジオの番組改編時期である。
テレビはほとんど見ないのであまり関心はないが、ラジオはときどき聴くので、番組が変わったことを気づかせてくれる。
もっとも、定期的に聴いていたひいきの番組があったわけではないので、あっそう、ぐらいの感覚である。
いや、あることはあった。NHK第2の語学講座。スワヒリ語をちょっと……なんていうのはないが、中国語などをときどき聴いていた。
だから番組改編があったからといって、期待に胸ふくらませたり、がっかりしたりすることはない。じつにさみしい人生だね、といわれるかもしれないが、人生はテレビラジオとともにあるわけではないのでかまわないのだ。
テレビは、以前にも書いたが、フィットネスジムで自転車こぎをしながらヒマなので見ることがある。
しかし、だいたいいつも、NHKのEテレに落ち着いてしまう。それがたまたま幼児向け番組であってもしかたがない。民放は場合によっては、どこのチャンネルを回してもCMのことがあるので、イライラして脈拍が上がるのである。
ラジオは、車の運転中に聴くことがほとんどである。音質がいいFMに合わせたいところだが、民放はやはり長時間耐えられない。音楽だけ流してくれたほうがうれしい。しかし、タダではそれもムリな話しか。
AMも同様である。こちらはNHK第一を聴くことが多いのだが、4月になってニュース番組が減ったような気がする。
いずれにしろ、テレビラジオはつまらない。それは、半分は自分の好みや趣味の問題であり、ニーズがあっての番組だろうから、僕のほうが世の一般基準からはずれているのかもしれない。
しかし、テレビから情報を取ることの多いこの国の人たちは、情報操作の犠牲になりやすい。それは去年の震災、原発事故から明らかになった。
それからもうひとつ。英語が苦手なほとんどの人たちは、インターネットの英語サイトさえ見ることができない。ひとつのできごとは、視点や立場が変われば180度見解がちがってくることさえある。
情報が氾濫しているようにみえても、ほんとうに有益な情報を得ることができなくなっている。それが今の僕たちだろう。
だからスワヒリ語を勉強しているのである。……あ、英語ですね。僕も得意ではないのだよなぁ。(/_;)
(photo:福建省崇武鎮にて)