走る人

 駅伝の季節である。寒風吹きすさぶなか、裸同然のかっこうでよくがんばるなぁ、と感心する。
 週に1〜2回通うフィットネスクラブには、ルームランナーに乗って走っている人がたくさんいる。その施設では、以前よりその手のマシンが増えたようだ。
 各マシンにはテレビがついている。たいていの人は、ぼんやり画面を見ながら走っている。ぐしょぐしょに汗をかき、まき散らしながら走っている人もいる。
 そんななか、恍惚とした表情で、自分の世界に入り込んでいる人をときどきみかける。「ランナーズハイ」状態なのだろう。気持ちよさそうである。
 僕は、酒を飲んで「ハイ」になることはたまにあるが、走る趣味がないのでその感覚はわからない。
 そういえば、似ているかどうかわからないが、山に登るとそんな感覚になるときがある。登りはじめてペースをつかむまでは苦しいが、スッと楽になる瞬間がある。それに近いのかもしれない。
 体調によっては、頂上まで苦しいときもあるのだが、あの、壁を越えたような感覚はおもしろい現象である。
 若いころ、よくいっしょに山へ行った同年代の友人、M氏はランナーだった。走るように斜面をかけ登って行った。
 僕はいつも遠ざかっていく彼の背を見ながら歩いていた。急な斜面の場合は尻を見ながら登っていた。でも、そのうち視界から消えていった。下山のときは、まさに風のように疾走していった。
 ぜいぜいと肩で荒い息をしながら登って行くと、ときどき彼は涼しい顔で、登山道のわきで待っていた。いっしょに休憩をとり、僕の息がととのってくると彼は歩き出した。そしてまた僕は置いてけぼりを喰らう。だから、M氏の疲れた姿を見たことがない。
 ようするに、体力差が歴然とあったわけである。ランナー恐るべしだった。
 しかし、体力差もそうだが、山に対する趣向性のちがいもあって、M氏との山行はしだいに遠のいてしまった。
 最近のフィットネスクラブは中高年のサロンである。こんな元気な人たちのエネルギーを集めれば、もっと建設的なことができるのではなかろうか、と自分を棚にあげていつも思う。
 ときどき、周りをはばからず「ハイ」になって談笑しているグループを見ると、とくに思うのです、ハイ。(;O;)
(photo:寒波到来)