年賀状よもやま

 あわただしい年末に、年賀状を書くっていう作業はほんとうに負担である。
 かんたんに済ませてしまおうと決意すればそうできるのだが、自分が作っていておもしろくないものを、他人に送りつけるのは失礼だろう、と思うのである。
 かつてグラフィックデザインを生業としていたせいか、ついつい “ひねり” を加えたデザインをもとめてしまう傾向にある。どうも、つまらない意地とか見栄がそうさせるようだ。
 そんなものがじゃまをして、若いころはムダに時間を費やしたりしていたが、トシとともにすっきり進行するようになった。まあ、めんどう臭くなっただけなんだろうけど。
 最近ではハガキのデザインより、直筆でひとことでも書き添えることが大事かな、と思うようになった。直筆の文字からは、相手のことを感じることができるからである。短いメッセージからでも、気持ちが伝わってくる。
 おおげさにいえば「おお、(元気で)生きているんだなぁ」と感じるし、「汚い字はあいかわらずやなぁ」と同情したり、「あいつもついにじいさんになったのか」などと感心したりと、相手が見えるのである。
 しかしなぁ、孫の写真はいかがなものか、と思う。うれしいのはわかるが、もらう方が恥ずかしい。あれ、よく見ると我が子の写真だったりする。えっ、そのトシで。まあ、我が子の写真にも閉口するが、写真ならせめて家族全員にしなさい。
 年賀状の差出人の移り変わりもおもしろい。たいていは結婚して夫婦連名になり、子どもの名前が加わり、しばらくするとまた夫婦にもどるのだが、なかには中年以降連れ合いの名前を消去してしまうケースも多い。
 とうとう離婚したのか、仲が悪いのか、などとよけいな心配をしなくてはいけない。なにも夫婦連名がスタンダードではないし、それに、連れ合いには関係ない相手だ、という事情もわかるけれど。でも、若いころは子どもの写真だったけどなぁ。
 年賀状をやめてしまう友人知人も、トシとともに多くなってきた。うらやましい。僕もできればそうしたい。でもまだ環境がととのっていないのである。
 年賀状っていうのは、出した相手から来なくて、出さなかった相手から来るようだ。年賀状をやめてしまえば、そういう余計なストレスからも解放されるのだが。(;。;)
(photo:上海の猫)