独りごちる大晦日

 2011年はとくべつな年だった、と日本人なら誰もが思うだろう。異存はない。しかしその反面、正直いうと僕はつい最近まで、実感としてなかったのである。
 たぶん3月11日という日に日本にいなかったせいだろう。その後もずっと中国暮らしだったから、何かが意識から欠落していたように感じていた。おそらく身体的な感覚も大きいのだろう。
 でも、ここへきてようやく追いついた、というか、自分の居場所になんとかおさまった、という感じがしてきた。
 思えば、ずっとおかしな感覚だった。それは、思春期のアンバランスな心と身体のようなものだったかもしれない。もっとも、あのころのような、きまじめな青臭さはなかったけれど。
 さて、未曾有の震災や原発事故、とくに放射能汚染は後もどりできない惨事だが、そのことによって日本人の意識が変わったことは確かだと思う。
 東電の対応、政府の対策、マスコミの報道、どれもこれも被災者や国民が不信感をいだくものばかりだった。みんなその正体を見てしまった。
 それは、誰もが少なからず自分の立ち位置を確認し、立ち止まって考えるきっかけになったのではないだろうか。
 日本人は(と、ひとくくりにしてしまうとしかられるかもしれないが)、あまり自分の頭で考えることをせずに、行動規範の半分ぐらいは人任せにして生きてきたのではないか、と思う。
 それは一方で、「平和である」ということの裏返しかもしれないが、そういうことをずっとやってきた結果、あの大事故が起こったのではないか、と思う。
 人生を勝手にリセットされた被害者や被災者にはかけることばもないが、今年はやはり日本や日本人が冷水を浴びせられた年として、多くの人が気持ちをリセットしたことだろう。
 中国やロシアなど、大国の指導者が交代する2012年。また来年は、ユーロ危機が引き金となって、リーマンショックを上まわる世界恐慌が現出するのではないか、という懸念もある。
 熱しやすく冷めやすい我が国民ではあるが、「3.11」だけは容易に忘れることができないターニングポイントだろう。
 今年はそれにつきるナ、と、おだやかな大晦日に思うのである。
 よいお年を。(*_*)
(photo:卯辰山からの金沢市街。冬)