安全保障と隣人

 中国の漁船が、韓国領海内で問題を起こしているようだ。
 尖閣での日本との事件を彷彿させてしまうが、中国漁船の行動は政治色が払拭できないので、事の真相をよむのがむずかしい。とはいえ、韓国側に犠牲者が出たことによって、今後の成り行きが心配である。
 たしかに最近の中国は、大国としての自信がある種の傲慢さに反転するときがある。狭量じゃないか、と思われることもある。いいかえれば、大人げない、ということだが。
 しかし個人の世界でも、何かしらのメッセージを送りたくて事件を起こすケースが多々あるように、中国の行動や対応には必ずふくみがある、と考えるのが妥当だろう。
 本屋へ行くと、中国関係の本はたくさん並んでいるが、どちらかというと好意的でない本のほうが多いようである。
 もちろん、データや取材を駆使した客観的な労作も少なくないが、目につくのは、どうしてもネガティブで恣意的なタイトルである。
 日本の兄貴のような、巨大な隣人のその動向にはときどき気にさわることもあるが、最初から結論が提示されている直情的な論調の本には首をかしげてしまう。
 日本人と中国人は、そのメンタリティにおいては感覚的に相当ひらきがあるのはまちがいないと思うので、好きか嫌いかのオンオフでは何も問題は解決しない。
 中国に実際住んでみると、おかしなところや違和感をたくさん見つけ出すことができる。でもほとんどの庶民は、日本と同じように、ささやかに悲喜こもごもの日々をおくっている。
 日本は長く、そして今でもアメリカの配下に生きている。しかし、ここへきて中国という眠れる獅子が表舞台にデビューし、世界のパワーバランスが大きく変化しようとしている。
 日本や世界の動向、地球の状態をみれば、子どもたちの世代はとてもバラ色とはいいにくい。もしかしたら、僕たちが青壮年期を過ごしてきた時代より、辛い世の中になりそうな気配である。
 僕は中国で、学生をふくめたくさんの人々とかかわってきたが、仕事を通して少しでも日本に関心を持ち、できることなら日本のファンになってくれる中国人がひとりでも多くできればいいな、と思ってきた。
 子どもたちの世代にロクなものしか残せない可能性が高いとすれば、それは僕にできる少しはマシな部類のことだろうと思っている。
 そして、そんなつながりが広がれば、へたな外交よりよほど日本にとっての安全保障になるような気がする。
 ーーなんていうのは、カッコよすぎだろうか……。(^_^;
(photo:仏陀の足跡。高山寺にて)