老人予備軍の感慨
小説家・藤原智美が書いた『暴走老人』(2007年/文春文庫)というユニークな本がある。現代社会のなかでしだいに生きにくくなってきた老人の怒りやとまどいを、自己の経験を通して抽出したセミドキュメンタリーである。
本では小説家の主観がベースになっているので、現象や病理の専門的な分析はなされていないが、ひとつの報告としては時代に沿ったものだろう。
自分もそろそろ老境に近づいてきているので、キレる老人のキレる理由もわからないではないが、最近はやはりそういう老人をあちこちで見聞きすることが多くなった。
キレるのは老人だけではないとは思う。しかし、高齢者の比率が高まれば、どうしたって彼らの存在が目立ってしまう。
たとえば、バスに乗れば、乗ってくるのはほとんど老人である。だから若い人は、空席に余裕がなければ座ることができない……という笑えない話しは余談だが、地下鉄や電車は駅が限られているうえに、ホームまでずいぶん歩かされたり、乗り換えのわずらわしさを考えると、小回りがきくバスが老人には好まれるらしい。
近ごろのバスは、そういった社会的弱者に配慮したつくりになってはいるが、社会全体を見わたせば、あまり老人にやさしいとはいえないのではなかろうか。
インフラをはじめ都市のつくりは若者が主人公だし、パソコンや携帯電話などの情報機器を若者同様に使いこなすことは、多くの年配者にとって至難のわざだろう。
老若男女、あたりかまわずキレまくる中国社会を見てきた身には、日本の社会はずいぶんおとなしく静かである。
まあ、それぞれの国民性や個人的怨恨の事情もあり比較してもしかたがないが、公共のなかで大声を張りあげる老人の姿はけっして見栄えのいいものではない。
でも、あれは彼らの悲鳴なのかもしれないし、また、老人が成熟した大人である、という考え方自体がステレオタイプかもしれない。
ーーなどと、住みよい高齢化社会を実現してほしい、と願っている老人予備軍は思うのである。やっぱり政治か。(-.-#)
(photo:京都駅にて)