立ち読み今昔

 中学校の帰り道、よく地元の本屋に寄って、立ち読みをした。
 きまって漫画の雑誌だったが、本屋のおやじ(またはおばさん)はそんな僕たちをみつけると、わざとらしく寄ってきて、近くの平積み台や書棚の整理をはじめて牽制した。機嫌が悪いときには、すばやく雑誌を取り上げたり、ときには、やんわりと小言をいうこともあった。
 しかし、ときどきは買ったりもしていたから、向こうもあからさまに邪険にはできず、双方が納得ずくのかけひきを繰り返していたような感じだった。本屋も小規模な個人商店がほとんどだった。
 ところが、時代とともに町の本屋は姿を消し、地方では郊外型の大型書店が主流となった。
 右肩下がりの出版不況がつづくなか、いつのまにか立ち読みは市民権を得て、今では店のなかに椅子やテーブル、まれにソファーまで用意して、客に立ち読みを奨励する? 本屋が多くなった。
 今や、堂々と立ち読みができる時代になったのである。
 僕は近隣のいくつかの本屋に、平日休日を問わずかなり頻繁に立ち寄るが、そのうち立ち読みをしている人(たいてい座って読んでいる)が気になってきた。
 平日は圧倒的に中高年の男が多いのである。これはある意味予想どおりだが、おもしろいのは、常連が多い、ということに気がついたのである。
 まあ、それもある意味予想通りかもしれない。しかし、その顔ぶれのなかには、てきとうに河岸を変えて本屋に通う筋金入りの男もいる。拡大鏡持参で本に見入っている男も知っている。
 さすがに、中国のように通路に寝そべったり、ペタリと座り込んだりしている連中はいない。もっとも、あちらでは椅子もテーブルも用意していないけれど。
 日本人は(と、限定してしまうほど検証していないが)本や雑誌を買う場合、他人が一度立ち読みした形跡があるものを嫌う傾向があるようだ。平積みの雑誌は、下のほうからそっと抜く。
 だから、おそらくじっくり読まれた本や雑誌は、最後まで売れ残り返品される可能性が高い。
 中学生のころとちがい、僕はほしい本はさっさと買ってしまうが、いろいろな事情があるにせよ、本屋でじっくりと腰を落ち着けている男たちを見ると、本屋側に同情してしまう。
 僕のような心のせまい者は、とても書店経営はできないだろうなぁ、といつも思う。でも、どうせ売れ残りは版元に返せば済む話しだから、本屋はそれでいいのかもしれない。
 あ、そうそう、いつも寝ている常連のオッサンも知っている。(・0・)
(photo:金沢市、四高記念館にて)