地図迷の思考と行動

 本屋に行くと、ついつい地図を買ってしまう。たとえば上海なら、市街地図を何種類も持っている。それぞれ用途がちがう(と自分で思っている)のだが、一般的にはひとつで十分にちがいない。
 以前にも白状したが、僕は地図オタクである。中国語でいえば「地図迷(ディートゥーミー)」というところだろうか。家人には当然バカにされている。
 じつは、帰国も間近になった今、悩みをひとつかかえている。上海で世話になった女人との別れがつらいのである。
 などと告白すれば各方面にいろいろ差し障りが生じ、その後の人生にスリルとストレスが持ち込まれ、ややこしい展開になるのであろうが、ま、そういう彩りに満ちたようなことは一切ない。
 で、悩みのタネはというと、分厚い中国の地形図なのである。本屋でひと目見て、ほしくなった。いわゆる一目惚れ、ということになるのだろう。でも、値段が少々はるうえに、この手のものはずっしりと重い。
 札束でひっぱたいて、強引に手中にすればそれまでの話しであるが、少しばかり躊躇している。もっとも、札束は必要ないが。
 なにがためらいの原因かといえば、中国の経済成長のスピードである。地形図だからそれほど重要な問題ではないが、この国は日々刻々と開発が進み、一瞬のうちに地図が古くなっていくのである。
 僕は小心で臆病だが、それでも、迷ったら前に進む傾向がある。そのひそみにならえば、そのうち夢遊病者のように本屋に吸い込まれ、強奪するようにすばやく本をかかえレジにならぶような予感がする。
 ところが、去年の6月中国に渡るとき、迷ったあげくに持ってこなかったものがある。双眼鏡である(ブログの第1回目参照)。
 また大急ぎで弁明すると、それはバードウォッチングのための道具なのですだ。でも、中国ではおそらくその手のレジャーは一般的ではない、という判断のもとに置いてきたのだである。なぜか狼狽してことばがおかしくなったいるのであるだ。
 それは正しかった。そんなものを持っていたり、使ったりしている人を見たことがない。いや、一度だけある。迷彩服を着た人が使っていた。
 しかし、そんなものをたとえ森林公園で使っていたとしても、公安が飛んできてお縄である。あぶないところであった。
 さて、悩む時間はまだ少しあるだ。(^_^;
(photo:水郷古鎮、七宝にて)