近寄ってくる人々

 以前、ホーチミン市サイゴン川ほとりのベンチで休んでいたら、物売りがひっきりなしに寄ってきて、くつろぐどころではなかった記憶がある。
 カトマンズでは、その手の男にしつこく付きまとわれて閉口したことがある。
 その根性は認めるが、たとえば、好意を寄せる相手でもしつこくこられては引いてしまう。ところが、逃げると追いかけたくなるのもまたおかしなものだ。まあ、物売りを追うことはめったにないと思うが。
 商売に長けた中国人は、そんなことはしない。その点楽であるが、上海の繁華街ではべつの目的で寄ってくる連中がいる。
 いくつかシナリオがあるようだ。「日本語を勉強しています」「写真を撮ってもらえませんか」などというフレーズを準備して、美男美女? が近寄ってくるのである。グルになっている店に連れ込んで、高額な飲食代を巻き上げるという魂胆である。
 地下鉄の車内ですわっていたら、小さな子どもを抱いた男が目のまえに立った。男が何かしゃべったのでてっきり、席を譲ってくれ、ということかと思っていたら、小銭の入った缶を差し出した。
 泉州では、バスターミナルや人が多いバス停にいると、たいてい物乞いが寄ってきた。しかし、上海では地下鉄にけっこう乗り込んでいる。
 どこからか楽器の演奏が聞こえてきたかと思うと、やがて人をかきわけてハーモニカを演奏する男がやってきた。小銭入りの缶をさげている。身体を欠損した人が、床をはってやってくることもある。
 物乞いもいろいろ努力しているが、人がよく行き来するところにじっとしているほうが、最も効率がいいような気もする。
 日本でも最近は、社会のセーフティネットが穴だらけになって、貧困層が拡大している。しかしまた、網から落ちてしまった人たちを援助するNPOやボランティアが存在する。
 中国ではそのあたりが脆弱である。あるいは、発展途上とみるべきなのか。いずれにしても、巨大な人口をかかえていてはそうかんたんにはいかないだろう。
 この国では階級意識を持つ人も多いので、逆に物乞いに施しをしたりする人も少なくないようだ。しかし社会の発展と同時に、他人に無関心になる層も急速にふえている。
 先日は、広東省仏山市で2歳女児がひき逃げされ、しばらくそのそばを何人もの人が無関心に通っていった、というショッキングな事件があった。
 異国語を話す怪しげなオッサンが道ばたでうずくまっていても、誰も関心を示さないかもしれない。あぶないあぶない。今日はビールはやめて早く寝るのだ。(-_-;)
(photo:水郷古鎮、七宝にて)