上海の役者

 三々五々役者が集まり、いつのまにか演技がはじまる。演目は古い話しだが、役者たちが身に付けている衣装は、古びてはいるがどこか普段着に近い。
 そんな演出ではじまるアメリカ映画があった。『ジーザス・クライスト・スーパースター』(ノーマン・ジュイソン監督/1973年)である。
 ブロードウエイのヒットミュージカルを映画化したものだが、舞台とはまったく異質な演出は、当時賛否両論だった。もっとも僕は舞台を見ていないので、比較はできないが。
 でも、その斬新な映像アイデアは、高く評価され大ヒットした。僕も夢中になり、2回も映画館にかよった記憶がある。
 なんの脈絡もなく、最近その映画のことを思い出した。まさかちがう自分を演じているつもりはないが、ふらりと自分が上海にやって来て、おもむろにここで演技をしているような、そんな感覚をおぼえたからかもしれない。
 おかしいなと、毎日首をかしげながら宿と学校を往復しているのである。そのせいか、最近首が痛い。
 短期集中レッスンは効果的ではあるが、2ヶ月やそこらで中国語があやつれるようにはなるまい。毎日の繰り返し、忍耐を要する集中力、高いモチベーションが不可欠である。
 中年の空っぽ頭には、モチベーションよりそれらのハードルのほうが高い。見上げるとまた首が痛い。したがって当然、あれっ? と思うようなあせりと疲労を両肩に感じ、とぼとぼといつもの道を行き来するのである。
 一杯のビールで、そんなあせりや疲労を洗い流し高揚することはあっても、しばらくするとまた現実にもどってしまう。そもそも、勉学の徒にアルコールはミスマッチである。
 まあ、いずれにしてもヘタな役者である。あの映画で主要な登場人物を、生き生きと演じた新人たちのようには、とてもなれない。せいぜいが、キリストを見送る、くたびれた群衆のひとりだろう。
 などと、多少慣れてきた “上海教室” の感想をひとりごちる間に、そろそろ収穫の秋の終わりがみえてきたようだ。(^_^;)
(photo:上海一の繁華街、南京路)