佇んで考えてみた

 遊園地の乗り物のように100%近く安全が保証されてはいないが、適度にスリルを楽しむにはうってつけかもしれない。
 泉州市内から郊外をむすぶバスの話しである。日本では絶対に味わうことができない荒っぽい運転も、ここまでくれば好きにしてくれ、といいたくなるような荒唐無稽の技である。
 そんないつものバスで、晋江市の安海鎮へ向かった。そこには安平橋という宋時代に造られた石の橋がある。全長約2.5kmあり、今では人しか通れない細長い橋である。
 不思議な地形のなかを渡る橋で、騒々しい町中が近いにもかかわらず、信じられないくらいひっそりとしている。なので、とても落ち着く場所なのだ。
 僕は、はじめてそこに立ったときから妙にそこが気に入り、以来ときどき通っていた。そんな秘密の(もっとも秘密ではないが)自分のスポットには、どうしても足が向いてしまう。
 泉州へ来たことにノスタルジックな気持ちがなかったのか、と問われれば、もごもごと口ごもってしまうかもしれない。
 元同僚の先生と会ったり、勤務していた学校のスタッフと会ったりすることは、そういう気持ちの表れだろう。もちろん、教え子だった学生たちにだってそうである。
 再会を歓迎してくれる旧知の顔の裏には、何しに来たの? という疑問がセットでくっついていることだろう。
 じつは、6月末で退職しあわただしく泉州を引きはらったものの、何か忘れ物をしたような気持ちがずっと残っていた。
 学校への未練ではなさそうである。学生たちとは、別れの多少感傷めいたものはあったにしても、まあそれは、若者にとってはドップラー効果のように、急激に遠ざかっていくものだろう。それくらいは理解している。
 じゃあ何を忘れて来たのか、橋に佇んでぼ〜っと考えてみたのである。(__;)
(photo:安平橋の入り口)