カップルの領域

 夕方、買い物に出かけた。大通りで信号を待っていたら、同じように待っている一組のカップルが目にとまった。
 それほど若くない2人である。男は角刈りで、背も高くがっしりした体型だった。男の身体に窮屈そうに張り付くTシャツからは、筋骨たくましい上半身が映し出されていた。
 女はといえば、こちらも、たくましいといっては何だが、おんな盛りを感じさせる挑戦的なふんいきを発散させている。
 その2人であるが、女は男の首に手を巻きつけ、じっと男の顔を見つめている。男はといえば、女の腰に軽く手をまわし、対面の信号機を凝視していた。
 そこの通りの信号は、いやになるくらい長い。そんな公衆の長い時間を、すっかり自分たちの世界にできる2人には恐れ入る。
 上海人たちは、そんな彼らを気にするふうでもない。いや、内心気にしているのかもしれないが、それでも日本人の感覚とはかなりちがうのではないかと思う。
 程度の差こそあれ、見ているこちらのほうが恥ずかしくなるようなカップルは、上海のそこここに出没する。白人社会に入ったことはないが、もしかして彼らより、公衆の場でのベタベタ、イチャイチャ度は高いのではないかと思われる。
 日本では “バカップル” と呼びたくなるような連中ではあるが、中国人気質を考えてみると少し理解できる。いや、理解はしたくないが、納得はいく。
 彼らのなかには「公」の意識が希薄なのだろう。中国人を少し理解すると、そういうふうに感じてしまう。おそらく自分のまわりは、たとえ公道を歩いていても、すべて「私」なのではないか、と考えられる。
 そう考えると、これまでもこのブログで書いてきたような、中国人のいろいろな行動はいくぶん納得がいく。そのへんは日本人と大きくちがうところだろう。
 豊かになり自由度が増してくれば、今後さらにどんな姿態を見せつけられることになるのだろうか。楽しみである。いや、やめてほしい。(@_@;)
(photo:映画館)