農家の記憶

 遠い記憶の底から、あの太陽光線を十分吸収した、香ばしい稲の匂いがする。
 遠い記憶ーーもう遠くなってしまったのだろうか。父や母が稲田で作業し、戦力として子どもたちがかり出される。孫たちは、非日常的な収穫作業を、遊びの延長として家族のまわりで体験する。
 ーーそんな光景。農家に生まれて、それがあたりまえのように毎年繰り返されてきた。しかし、父の死でそれは突然終わりをつげた。以来、大規模農家に委託して作業してもらっている。
 継続できなかった理由をあげればいくらかあるが、やはり農家で育った者としては、この時期を迎えるとどうしても心がさわぎ、またチクリと痛む。
 そしてそれは、毎年やってくる春と秋のその時期になると、ある種恥ずかしさをともなって、気持ちのなかでつまずきを覚える。もはや自家の田畑であって、そうではない。
 年を追うごとに寂しさが増すのはなぜだろう。そこに家族の黄金時代をみるからだろうか。そう、裏を返せば自分もトシをとった、ということだ。
 上海にのがれてみても同じだった。気持ちや記憶はどこへ行っても消えることはない。
 上海には、日本のようにコンビニをたくさん見かける。日本でおなじみのチェーン店が多い。そこには、ちゃんと「おにぎり」もある。具も上海人好みだろうか。しかし、まだ人気は低いようだ。
 食堂やレストランでご飯物を頼むと、ひとりでは食べきれない量が出される。もともと、御膳のような個人食の習慣がない国のこと、とくに一人分ではないのである。そして、残しても恥ではない文化。
 一見食料が豊富にみえる中国は、すでに食料輸入国になっている。日本はずっとそうであるが、人口の規模がちがうことを考えれば、この先が心配である。いや、他人事ではなく。
 日本では、米の放射能汚染が話題になっている。安全とはいい切れないところが、気持ちを暗くする。
 米だけは自給できていた。しかし、より安全な米をもとめてこれから米の価格のバランスが崩れるだろう。米だけではない。食料品の値上がりはジワリとやってきている。
 日本のどこかでは、まだ牧歌的な家族の農作業風景が見られるかもしれない。でも、僕のなかではもう終わってしまった風景である。(v_v)
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