あの戦争と中国とビールと

 毎日ビールがうまい。暑い日中をなんとか耐えて、夕方飲むビールがたまらない。
 今は失業状態なので、「なにを贅沢な。発泡酒か第3のビールでがまんしなさい。ていうか、水でも飲んでなさい」という声が聞こえそうである。でもいいんだ、ビール代ぐらい埋蔵金でなんとかするつもりだ。
 さて、今年も終戦記念日がやってきた。少しずつあの戦争は、遠いとおい日のできごとになりつつある。中国でも、あの戦争を生き延びてきた人は少なくなってきている。
 じつは、中国へ渡ったら、いつか反日論争に巻き込まれて吊し上げを喰らうのではないかと、日々周りに注意をはらって生きてきた。
 しかし、そんなことは一度もなかった。ちょっと期待もしていたのに、いくらか残念である。あまり一般庶民と濃厚な接触(なんだか誤解されそうな表現だが)をしなかったせいかもしれない。仕事がら、そういう状況に陥る機会がなかったからかもしれない。
 あるいは、広大な中国の地域性もあったのかもしれない。尖閣問題で両国がぎくしゃくしていたときも、近所のおばちゃんたちはいつもと変わらなかった。
 たぶん、若い世代の人々は、反日教育は受けているが、あれはもう過去の歴史であり、目下のところそれより優先することがたくさんあるのだ。というところだろうか。
 現実的には、中年世代では、文革の波の方が記憶に鮮明だろうし、それ以降になれば、経済成長が何より優先する世代になってしまう。
 要するに、早く豊かになりたい、とほとんどの人が思って日々努力している(ように感じる)。反日などは、政治的な便利なカードにすぎないのだろう。
 今年の8月15日は、やはり震災や原発事故という大きなできごとがあったせいか、ずいぶん控えめな報道に終わってしまったようだ。
 でも僕は、毎年そうするように、あの戦争関係の本を2冊買った。『あの戦争を伝えたい』(東京新聞社会部 編/岩波現代文庫 2011年)と『父の戦地』(北原亞以子 著/新潮文庫 2011年)である。
 買い込んだ本が多くて、まだ読めないでいるが、こういう実体験にもとづく記録や戦争文学は、やはり後世に残しておくべきものだろう。ビールを飲みながら読むのは、いささか不届きかもしれないが。(^^ゞ
(photo:江で賑わう長浜市にて)