Before & After

 何がどう変わったのか、と問われると、いったい何だろうか、ととりあえず答えてしまうだろう。
 この国に厚くだだよう暗雲。それは、頭を押さえつけられるような抑圧感。うれしいときにうれしさを素直に開放できない、ためらい。どんなに清々しい朝でも、深呼吸できない息苦しさのなかでみんな生きている。
 3.11の後、はじめて日本に帰ってきて、そう感じた。自分勝手なイメージから自己暗示にかかったのかもしれない、と当初は思っていたが、どうやらまちがいないようである。
 天災と人災。とくに後者は、悔やんでも悔やみきれない。いつかこんな日が来る、と頭のどこかで思っていても、まさか、とずっと打ち消して来た。
 明らかにドアをひとつ開けてしまった。足を踏み入れてドアを閉めると、鍵がかかってしまった。だれもマスターキーなど持ってはいない。
 先週、家に帰ってきた。この前帰ったときから、たった5カ月という時間なのに、周囲の景色はかなり変わっていた。とくに北陸新幹線の工事は、コンクリートの巨大な高架が姿をあらわし、ある種異様なふんいきとなっていた。
 しかし、そんな具体的な視覚変化もどこか現実感がないのは、あの厚くただよう雲のせいだろう。
 停電におびえ、食べ物に不信感をいだき、若者は明るい未来をえがけない。これが先進国の一員だろうか。階段から足を踏み外してしまったように、僕たちは転落した踊り場でもがき苦しんでいる。
 中国の現実のなかで生活してきた者として、この落差はとても大きく感じた。「がんばれ、日本」という、世界中から同情と憐れみ? をかう日本の姿はあまりカッコイイものではない。
 この国の為政者や官僚システム、大企業、マスコミは信用できない。ということが、またしてもわかった。しかし、そんな彼らを育ててきたのも僕たちである。
 日本や日本人はおかしい、と思う。僕は、そんなおかしな国の言語を、外国人におしえる仕事をしていることになる。日本はいい国ですよ、などと真顔でいうことに躊躇をおぼえる。
 しばらくはあの暗雲と付き合っていくしかなさそうだが、少なくとも同情と憐れみは返上して、日本語教師がためらいなく日本を紹介できるような国にしなければならない。
 ドアを開けてしまったこの世界は、個人個人が自分の頭で考える世界である。日本人の意識は変わらないといけないのである。(*_*)
(photo:ワタスゲ立山にて)