にらむ人、にらまれる人

 本屋を見かけると、誘導されるようについふらふらと入ってしまう癖がある。中国でも同じだった。しかしやはり、店のなかは中国で出版された本ばかりである。
 品揃えは日本とちがって、まずは漫画や雑誌のコーナーが貧弱である。文学や政治経済の本はかなり充実しているが、本屋の一等地を占めているのは、成功譚や成功するための手引き書である。つまり、国情や国民性、出版文化のちがいが反映されているのである。
 立ち読みは日本と同様防ぎようがないが、店内では地べたに座って読んでいる人がほとんどである。書架のあいだの通路には、立ち読みというか座ってじっくり体勢で没頭している方々が必ずいて、容易に通りぬけることもできない。寝そべって読んでいる剛の者もいる。
 いつぞやは、跨いで通ろうとして相手の身体に僕の足があたってしまった。とっさに謝ったが伝わらず、逆にその若い男ににらまれてしまった。
 本屋ではないが、こんなこともあった。バスのなかで、前の席に座っていたおばさんが降りようと席を立ったとき、座席に携帯電話がすべり落ちた。僕はあわてて席を立ち、携帯を拾って彼女に声をかけた。しかし、その女は携帯をひったくると、僕をにらみつけ降りていった。
 ワリとおいしいんだけど、女将がいつも不機嫌な小さな店へ昼ご飯を食べにいった。だいたいそこで頼むものは決まっていたのだが、その日は軽い気持ちで「餃子」を追加した。その瞬間、彼女にじっとにらまれた。そして、静かに「うちに餃子はない」と吐き捨てるようにいって去っていった。
 どうして、こうにらまれるのだろうか、と一時悩んだこともあった。自分の何がいけないのかわからなくて自暴自棄になったこともあった。荷物をまとめて帰ろうか、とさえ思った。まあ、それくらいで荷物をまつめるのもめんどうなので、それはやめた。
 とにかく本屋のなかは落ち着くが、日本と少し様相がちがう。……ようやく本屋の話しにもどった。
 そんなわけで活字中毒者の僕は、当然、帰国後本屋に直行したのである。
 やはり日本の本屋は平和であった。地べたでくつろぐ者はいないし、あいかわらず立ち読みの者にはやさしく、もちろん不当ににらまれたりもしない。
 本屋には、核や原発関係の本が山積みされていた。せめてこの機会に、多くの国民が原発やエネルギー問題に関心を持って考えてほしいと思った。日本政府も電力会社も、国民ににらまれると怖いはずだから。(-_^:)
(photo:コマクサ。白馬岳にて)