テーマパークにて思うこと

 麗江といえば、チャン・イーモウ高倉健主演でつくった映画『単騎、千里を走る。』(2006年)が有名である。
 僕も麗江という地名は知っていたが、どういうところかはよく知らなかった。だから、あの映画によって麗江という土地のイメージが形づくられたところもある。
 麗江は、少数民族のナシ族によってつくられた町で、その独特な町のデザインや独自の文化と宗教が織りなす美しさが魅力である。1997年にユネスコ世界文化遺産に登録されている。
 年中観光シーズンといってもいいらしいが、夏の今は涼しさを求めて観光客が押しよせて来ている。ほとんどは中国人の国内旅行者だが、欧米人の姿もちらほら見かける。
 しかし残念なことに、ナシ族の古い町は極度に観光地化されて、今や一種のテーマパークのような様相である。日本の観光地と同じ、山のなかにイカの丸焼きの香ばしい匂いがただようような感じだ。
 こうなるのはやむをえないのだろうが、テーマパークのなかからかつての遺産を見つけ出すのはなかなか難しい。
 文化とは人の生活にまつわるすべてのことである、と思っているので、よそ行きに厚化粧したこの “テーマパーク” でナシ族の生活に触れることなどできそうもない。
 ナシ族の人々にとっても功罪相半ば、という状況だろうか。あるいは、罪のほうが大きいのかもしれない。
 「世界遺産」というブランドには、僕は懐疑的である。保証書か認定マークを求めるように、人々はブランドにむらがり消費する。その後に残るのは、ややもすると荒廃と退廃。
 昔の生活を捨てて、よりもうかるほうへ。伝統を守る人々は生きにくくなり、人知れずひっそりと暮らす。観光地にあきあきした者は、そちらのほうが魅力的である。
 しかし、よそ者があまり犯してはいけない領域でもある。最近旅をすると、そういうジレンマになやまされる。(^_^)b
(photo:麗江古城にて)