骨身にしみる夏

 いよいよ暑くなってきた。若者が発散する熱気で、教室はすぐにサウナ状態となる。ーーこの場合の熱気とは、授業の熱気ではなく、若者が発散する体熱のことです。残念ながら。
 先日、うだるような蒸し暑い日に、学生からエアコンの使用を求められた。学校側に問い合わせると、6月1日からだという規則で、むげなく断られた。
 当然、連中からは大ブーイングである。たしかに勉強に身を入れる気候ではなかった。教師としても文句をいいたいところだった。
 学生が納得しないのには多少わけがある。ほかのルールには、けっこうアバウトでいいかげんなものもあるからだ。
 とにかくエアコンなしでは生活できない、過酷な季節がまたやってきた。しかし、涼しい環境はいいのだが、外気と室内の温度差に悩む日々もまたやってきたのである。
 暑い地方のエアコンはとにかくありがたい。アジアの暑い国や地方へ行くと、ホテルや店舗などは、これでもかというほど冷やされている。冷却温度も、サービス合戦の一環のようになっている。
 僕のように痩せぎすの者は、緩衝帯が脆弱なので、すぐさま冷気が骨身にまでしみてくる。だから夏場の冷房対策は必須アイテムである。
 そしていつも頭の隅をかすめるのは、その冷却装置に使うエネルギーのこと。一度快適を知ると後戻りできないのが人間だろう。そのあとにつづく者もまた快適を求める。
 何も中国の人々のせいではないが、このまま中国がなだれを打って豊かになっていくと、いったいどうなるのだろうか、と考えてしまう。そのすぐ後ろに、あのヒンドゥー教の大国もひかえているし。
 レスター・ブラウンは1994年に早くも「誰が中国を養うのか?」と予言した。時の中国の指導者は、「中国は中国自身が養う」と冷ややかに一蹴したが、すでに食料は輸入国になっている。
 かように、食料問題は喫緊になってきた。エネルギー問題もまた、石油はほとんど外国に頼っているし、無尽蔵といわれる石炭は効率が悪く、加えて公害の問題もかかえている。
 そんなわけで、今後は原子力を大推進していくようだ。
 だけど僕は、どうしても、数年前に起きたあの四川大地震を思い出してしまうのだ。こなごなになって崩れてしまった、手抜き工事の建物たちを。(-_-#)
(photo:道ばたの花)