ノイジーな人々

 なんとなく会社に来てしまい、仕事をした。なんていうのは、ワーカホリックの会社人間である。
 どうせ雨で出かけられないから、学校に来てしまい、来週の授業の教案をつくった。ていうのは、今日の僕である。
 なんだか寂寞感がにじみ出てきそうではある。でも、学校でくつろいだわけではない。仕事を前倒ししたわけだから、前向きの姿勢ではないか。自分をほめてやりたい。
 あ、しまった。このフレーズは嫌いなのであった。自分をほめるなんて気持ちが悪い。
 そもそも、自分をほめてもいい人は限られる、と思っている。限界までがんばってもうこれ以上ダメ、になった人(と自分で思った人ではない)にだけ許される、と考える。あくまで他人の評価が基準だ。あ、キミ、自分をほめていいよ。え? いいんですか? の世界なのである。
 かように、自分をほめる、という行為はかんたんにやってはいけないのである。
 それで、教員室を一人じめして仕事をしていたのだが、今日はなぜか中国人スタッフが出勤していて、となりの校長室に集まっている。
 出勤の理由はわかった。今日は、新任予定の日本人教師が学校見学に来たのだ。だから、純粋ないつもの業務ではないので、あたかも休日にすることがなくヒマをもてあまして足が職場に向いてしまった、というシチュエーションに少し近かったかもしれない。
 それはそれでごくろうさんといいたいが、仕切りパーティション一枚のとなりで大声で喋るのは、できればやめていただきたかったナ。
 だいたいこちらの方々は声が大きい。全体的にもう少しボリュームを下げていただけるとうれしい。発生源に向けてボタンを押すとかんたんに声が小さくなる、テレビのコントローラーのようなものがあればすぐに購入します。
 近所でご不幸があったらしく、近くの広場に祭壇がつくられ、朝からにぎやかである。葬儀に、にぎやか、という形容は不謹慎かもしれないが、このあたりの葬儀は音楽隊が組織されて、まったもってにぎやかなのである。もちろんバクチクも随時炸裂しているし。
 こんななかで仕事をしていた。頭痛してきた。自分をほめてやりたい。ダメ? (;O;)
(photo:真武廟にて)