あやまちは絶えず

 こうやって、世のため人のためにならない駄文を毎回書きつらねているが、これでもかなり気をつかっているのである。
 たとえば表記の問題。漢字とかなのバランスとか。なんでも漢字に直して書いてしまっては、とても読みづらい文章になってしまう。一定の基準を決めて書いてはいるが、一冊の本でもないので、まあゆるやかなルールでやっている。
 そんなクセで、授業でもついついひらがなで書いてしまう。すると、学生から漢字を書いてくれと要求される。苦笑しつつ直しているが、自信のない字は電子辞書で確かめてから書いている。
 多少カッコワルイが、誤った字をおしえるよりはマシだろう。しかし、「積」と「績」、「探」と「捜」など、これまでにまちがえた記憶がある。
 日本人なら、ましてや日本語教師たるもの、漢字などはすべて知っていて当然だろう、と学生には思われているフシがある。したがって、僕などは日本語教師の権威を下げる方向に貢献しているのではないか、と危惧している。
 振り返ってみれば、僕の国語能力はさほど、というかあまり高くなかった、というかかなり低かったような気がする。
 たとえば「卑下」はずいぶん長い間「ひか」と読んでいたし、「唐突」も「からとつ」だと思っていた。後者などは、湯桶読みだからおかしい、ということさえ気がつかなかった。
 学生時代、あるとき友だちと話していて、「自分を卑下する」という気取ったいい方をしたときに、「ヒカ? ヒカってなに?」といわれて指摘された。ずいぶん恥ずかしかったけれど、あそこで直すことができてよかった。彼には今でも感謝している。
 そんな過ちをいくつか、同時進行で繰り返してきた。“社会の窓” を開けたまま歩いていたようなものである。これまで、だれかがどこかで、ヒヒとほくそ笑んでいたかもしれない。
 あぶないあぶない。と思っていたら、この歳になってもまだ誤解していた語句が、最近見つかったのである。それは……恥ずかしいのでとてもいえない。(+_;)
(photo:頼りになる友だち)