紛争の種は尽きず

 ウサマ・ビン・ラディンが殺害されたという。テレビでは、アメリカやイギリス市民の喜びを伝えている。狂喜乱舞している姿も映し出されている。
 あちらこちらで賞賛の声が上がっているが、人を殺して喜ぶ人の姿というのには、どうしても違和感を感じてしまう。なじめない。
 もうひとつの違和感は、問答無用に刑を執行してしまうアメリカの姿である。国際法上の問題はないのだろうか。ここにも、違和感というよりもむしろ、恐怖を感じてしまう。
 もちろん、ビン・ラディンは憎むべき犯罪人であり、擁護するつもりなどまったくない。しかし殺してしまっては、これまでの数々の事件の真相は闇に葬られてしまう。
 オウムの麻原のように、捕らえたところで何も明るみに出てこない、というような事態もあるかもしれないが、こういう荒っぽいやり方ではさらなる報復を生むのではないか。それを懸念する。
 最近、アラブの人たちは武力ではないやり方で政権を交代させる、ということを実行しつつある。パレスチナハマスファタハが和解した、というニュースもある。いい流れになってきている。
 ところが、リビアでは多国籍軍の武力介入が、さらなる混乱を生み出している。長期化し、事態がこじれないことを願うのみであるが、どれだけの一般市民が犠牲になっているのか実態がわからない。
 歴史上、欧米諸国は世界のあらゆる地域に進出し、自国の利益のためにそれぞれの地域をコントロールし、利用してきた。
 今世界中で起きている紛争の種は、そういうところから芽生えているものもある。それは歴史の必然だからといって納得できるものでもない。現にいまだに、世界は欧米が動かしていることに変わりがないのだから。
 ところが、ここにきて中国が超大国の仲間入りをした。欧米や日本と相反する国家体制を持つこの国が、世界のもうひとつの極になろうとしている。しかし、真の超大国として認められるためには、それ相応の振る舞いが求められる。
 欧米主導の世界秩序にどうかかわっていくのか、おそらく世界中が注視している。(-_-;)
(photo:大根?)