雨の日は “无聊”

 この3連休はどうやら雨である。演歌に出てきそうなしっとりとした雨ならいいが、昨日などはずいぶん暴力的な降りだった。
 しかし雨は、街に漂っている埃を洗い流してくれるので、たまには悪くはない。
 天気がいいとこの町は埃っぽく、寮の部屋のなかにもいつのまにか、細かい砂のような埃が降ってくる。窓はほとんど開けないが、スキマだらけだからどこからか入ってくる。
 学生たちは、帰宅組と寮に残った者たちに分かれ、それぞれ退屈な連休を過ごしているようだ。休日の過ごし方も、日本の若者ほどバリエーションがなく、画一的かもしれない。
 雨の日は雨の楽しみ方がある、といってみたところで、それはある程度歳を重ねた者の感慨であって、若い彼らには通用しない。
 尻の軽い僕も、晴れれば近郊に出かけようかと思っていたがこれはきっと、たまには休め、という啓示かなと理解して、おとなしく部屋で雨の日を楽しんでいる。それはそれでまたいいものである。
 天気がいいとどうしても落ち着かなくなるのである。出かけなければいけない、損をする、などといった脅迫観念をいだいてしまうのだ。病気かもしれない。
 いったいいつから、そんな条件反射をするようになったのだろうか。きっと、サラリーマン時代の暗い経験が影を落としているのにちがいない。
 新卒で入った会社は印刷会社だった。そこはモーレツに忙しかった。毎日夜まで残業があり、外の光を浴びたのは週末だけだったような記憶がある。そのころは若かったので、貴重な休みにはストレスを吐きだしによく出かけたものである。
 たぶんそれである。そして毎週のように出かけていると、いくら若くてもやがてダメージである。すると、週末がたまたま雨だったりすると、かえってほっとしたりするのである。やっぱり病気?
 中国には、QQというチャットのシステムがある。いろいろな機能があるので、学生たちは、電話番号を使うメールよりもこちらを使う。
 よほどヒマなのか、僕のようなオッサン先生にまでコンタクトがある。当然話題が合うわけでもなく、話しはそんなに長つづきしない。しかも、返事が遅いなどとしかられたりする。しかたがないではないか。こっちは辞書と首っ引きで、必死に返しているのだ。
 と、このときばかりはいつもと攻守が逆転するのである。(^_^;
(photo:背が伸びる夕方)