資源はないが電気はほしい

 どうして投票に行かないのだろうか。人任せでいいのだろうか。民主国家では投票率が低くなりがちだというが、あまりにも低すぎはしまいか。
 どうせ何も変わらない、とよく街頭インタビューの声をきく。でも、変わったじゃない。2年前の政権交代。まあ、政権は変わったけど……ってところもあるが。
 投票率50%以下じゃ、やり直しだろう。
 いたるところで原発が争点になった。とてもいいことである。しかし、地方選ではなかなか流れは変わらない。あいかわらずの “ムラ選挙” をやってたんじゃ、今までのままだ。原発をかかえている地元ではやはり意識が高まった感はあるが。
 しかし、以前から感じていたが、原発の誘致などは、地元の一自治体だけで決めていいものだろうか。今回の事故でも明らかなように、ひとつ事故が起これば自治体の境界などおかまいなしである。
 受け入れる自治体は多額のお金が入って恩恵を受けるから、それはそれで取り引きなのかもしれない。もちろん、そこにも反対する人がいることを承知してはいるが。
 近隣の自治体こそいい迷惑である。迷惑、というような軽いことばで表現できないほどのダメージを受けてしまう。それも一過性ではない。何十年単位の話しである。
 僕たちは、原発をつくってくれ、と頼んだわけではない。電気がほしいだけなのである。
 政治家や電力会社や原発企業の都合で、原発はつくられてきた。原発先進国の日本には、古い施設がたくさんある。このへんで、静かに店を畳んでもいいのではないか。
 日本は資源はないけれど、技術がある。技術を極める粘り強さもある。エネルギー政策の大転換をはかれば、世界から再び尊敬を集めることができるし、なによりその技術を輸出することもできる。
 電気がないと暴走してしまったり、石油がないとつくれない原発というものは、やはりいびつな姿である。( -_-)
(photo:深沪鎮の市街にて)