同時代を考えるとき

 おいしそうな料理がたくさん並べられていた。しかしよく見ると、僕の周りでは洋風のものが好きな連中が多かった。
 勧められて自分もためしてみたのが、ロックでありジャズでありフュージョンだった。それらは、新鮮な味がしてとてもおいしかった。
 僕たちの世代は、フォークの最末期の金魚のフンのようなところがあった。そのせいかどうか、そういう欧米の新しい文化にどこか開放感を感じたのかもしれない。
 ともかく、日本のアイドルタレントと呼ばれていたスターたちを真正面から見ることはしなかった。
 何も洋楽がレベルが高くて高尚だとも思っていなかったが、洋風なものにあこがれていたところは否定できない。加えて、レコードが少し安かった、という懐事情もあったのだが。
 アイドルたちの動向は情報として入ってきたが、彼らを追うということがやはり気恥ずかしく、どこか塀の陰からそっとのぞき見るようなところもあった。洋楽を聴くという後ろめたさと、その裏返しの屈折した優越感がそうさせていたのかもしれない。
 そういうわけで、キャンディーズに対しても格別なシンパシーはないのだが、田中好子だけには強烈な印象がある。歌ではなく、映画『黒い雨』だ。
 井伏鱒二の描いた、終戦前後のあの暗くて重いテーマに、アイドルタレントがはたして溶け込むことができるのだろうか。という危惧が、映画を見る前にはあった。
 しかし、キャンディーズ時代のことをあまり知らなかったことが功を奏したのか、あるいは巷の評価通り、女優としてのひとつの完成形だったのかはわからないが、見事な役作りだったことを覚えている。
 著名人の訃報に接すると、程度の差こそあれ、自分が併走した時代のことがよみがえり、ある種の感慨とともに一抹のさみしさを覚える。世代が近いとなおさらである。
 キャンディーズのメモリアルCDはおそらく買わないけれど、点としてではあるが、良質なエンターテインメントを届けてくれた田中好子には感謝したい。(合掌)
(photo:深沪鎮、深沪港にて)