できることを考える

 いくらなんでもレベル7はないだろう。と思っていたが、あっさり現実となった。
 チェルノブイリと比べてしまって、受け入れ難い気持ちは依然としてあるが、やはりそれくらいの認識度を持つことが妥当なのかもしれない。
 しかし、徐々に危機意識が薄れてきていることにも気がつく。現実を少しづつ受け入れてしまい、感覚が鈍磨していっている。水が熱湯に変わるまで気がつかないカエルのように、一向に好転しない状況をあたりまえとして認識する、その慣れが恐い。
 もちろんこれは、現場から遠い者の感覚なのであって、そのことはお断りしておかなければならない。
 被災地への思いも同じだ。国民がこぞって助けにいけるわけではないし、それぞれに日々の生活や仕事がある。ニュースの賞味期間は切れ、いつのまにか目に入らなくなってしまう。そのことが恐い。
 できることをやるしかないが、僕たちの責任はこれからのことにある、と思う。
 とりあえず、震災と原発とは分けて考えないといけない。そのうえで、マスコミや政府、政治家、そして電力会社や原発関係者がすることに、目をこらさないといけない。
 原発関係でいえば、これまでおそらく知らなかったことがたくさん、広く一般市民が知ることとなった。電力会社(と政府)が巧妙に誘導してきた原子力政策に、今回急ブレーキがかかった。そして、小声でこそこそしゃべっていたことが、マイクを通じて一気に拡声されたのだ。
 けじめや手打ち、禊ぎ、水に流したりすることが大好きな国民だが、今度ばかりはそうはいくまい。のどに刺さった小骨のように、当分はどこかしら晴れない気持ちを引きずっていくことになるだろう。
 さっそく、問題のど真ん中にいるどこかの社長が辞任をほのめかしているが、今がけじめの時期ではないだろう。
 最近のテレビで見る、大企業のトップと呼ばれる一部の人の顔は、少なからず覇気がなく目に光がない。当然カリスマ性もなく、どこか一般サラリーマンと変わらない風貌を感じさせる。社内を要領よく泳ぐことだけで地位を築いたのではないか、とさえ思ってしまう。
 件の電力会社こそ、経営陣はずっと以前から “レベル7” ではなかったのだろうか。(-_-)
(photo:西湖公園にて)