プライバシーとは何か

 教え子のなかには、幼少のころから寄宿生活をしている生徒も少なくない。日本ではあまり考えられないことだが、ここではさほど珍しいことでもない。
 プライバシーもないような、寮での共同生活である。せまい部屋にはベッドと、多少の私物を置くスペースしか与えられていない。この学校や、僕が週に一度非常勤として通う国立の学校でも同じだ。
 寮の照明は薄暗く、自習は常に教室でするようになっている。テレビを見るのも教室。そこで食事をするのもまた日常の風景としてある。教室は学習の場ではあるが、生活の場でもある。
 まあ客観的に見れば、あまりいい環境ではない。さぞ不自由でストレスがたまることだろう。と、日本から来た異文化の異邦人はそう思うが、本人たちはけっこう平気である。
 おそらくプライバシーという概念がちがうのだろう。
 こちらでは、年齢、収入、家族のことなど平気で聞かれる。あるいは、下着を平気で外に干す、パジャマで外出する。おおっぴらである。
 これらすべて、日本では完全にプライバシーの範疇である。
 こっちがよくて、あっちが悪いという話しではなくて、出発点がちがうのだから、そういう文化だと納得するしかない。
 では、中国人は何がプライバシーなのか。中国語でプライバシーは「隠私」とある。日本語では「私事」だろうか。
 そこらへんに鍵がありそうだ。彼らが大切にする「面子」と大きな関係がありそうな感じもする。
 中国で生活してみて、なんとなく体感としてわかりかけてきたが、まだ明白にこういうことだ、というところまで理解していない。
 壁があってもいいところに壁がなく、思わぬところに壁があったりする。異文化とはそういうものだ、と思っているが、あんがいその壁を開くには合い言葉が必要だったり、厳しい手続きがあったりするのかもしれない。
 したがって、件の生徒たちが生活する環境は、中国語でいう「隠私」には問題がないのだろう。そして、ひたすら精神が鍛えられ、13億のなかで生きていく力が育まれる。(O_O)
(photo:開発の陰で)