日々時間は流れる

 これも “正しい戦争” なのだろうか。まるで機会をうかがっていたかのように、またゲームのように戦争がはじまってしまった。
 手が早い粗暴な “弟” にブレーキをかけるどころか、たきつける “兄” もいつものとおりだ。
 リビアへの軍事介入のことである。国連の安保理採択が錦の御旗のようだが、既定路線のような気がしてならない。
 なにもカダフィの肩を持つ気は毛頭ないが、ベネズエラチャベス大統領がいう、欧米は石油を確保したいだけだ、という冷めた見方も一方ではうなずける。
 カダフィがいみじくもいった、連中は十字軍気取りだ、というとらえ方もなかなかおもしろい。じつは、正義の味方などとはとんでもない。彼にとってはまさにそうだろうが、まあ、退くタイミングを逸した、ってところだろうか。
 人間、去り際がむずかしい。見渡してみても、世界にはそんな指導者がゴロゴロいる。やったらやめられないのだろう、国を私物化してしまうと。
 去り際といえば、悪例は我が国でも枚挙にいとまがない。逆に最近では、もうやめるの? というくらいさっさとやめる、淡泊な総理大臣や閣僚が輩出している。これもまた困りものだが。
 大地震から一週間たった。少し状況が安定してくると、もちろん被災者の方々や原発の行方は気になるが、世間は次々と新しいニュースをもとめている。
 しかし原発は、第2のチェルノブイリだけは絶対に避けてほしい。
 ニュースを見ていると、CTスキャンなどで浴びる放射線量が引き合いに出されたりする。先端医療の現場で使う、放射線を利用した機器の多さにあらためておどろかされる。
 そしてこれからは、放射能が食べ物などをとおして、徐々に身近にせまってくる。ところが、ここでもまた、食べても安全だ、安全の範囲内だ、というおふれだ。内部被爆はより深刻であるはずなのに、この程度のかんたんな情報提供でいいのだろうか。
 原発の状況も一気に好転、というわけにもいかないから、テレビをつけると同じニュースの繰り返しである。そこへ割って入ってきたのがリビア
 しかし、軍事介入したあの大国の大統領は、たしかノーベル平和賞を受賞したはず。(*_*)
(photo:生徒と博物館へ行った帰り。まあ平和な光景である)