もやのなかの世俗

 初めてネパールへ来たのは、確か1980年の暮れだった。玄関口は、これが一国の国際空港か、と思わせるような粗末なものだった。
 外へ出ると、あっという間に浮浪者や物乞いに取り囲まれて、身動きできなくなった。それがこの国との最初の出会いだった。
 今でもネパールは貧しく、社会から外れた人々もたくさんいるが、それでも町は車やバイクで渋滞し、近代的なビルが建ちはじめ、郊外へ出れば瀟洒な高級住宅街も目立ってきている。町ゆく人々のファッションも、伝統的なスタイルは少数派になり、とくに若者は流行に敏感だ。
 乾季の今、町はほこりっぽく、一日歩けば目はしょぼしょぼになり、のどはいがいがになる。それは、このカトマンズ盆地の地理的条件のせいでもある。
 少し高台にあるホテルからは、町の一部が俯瞰できるのだが、朝、“洗面器の底にならぶ” 町並みをうっすらともやが覆う。それはおせじにも美しい光景とはいえず、おそらく空気中の排気ガスや塵、ほこりなどが夜の間に、ゆっくりと洗面器の底に堆積したものだろう。
 昨日、カトマンズ市街の西の端にあるスワヤンブナートという古い仏教寺院へ行った。そこは、この国へ観光にきた外国人なら一度は立ち寄るところであり、小高い丘の上にあるその寺院の敷地からは、条件がよければカトマンズ盆地全体を見渡すことができる。
 こんな季節でもあり、あいにくの見晴らしだったが、境内はさまざまな国の人々でにぎわっていた。ヨーロッパ系の若者、老夫婦、韓国語を話す一団、ひとり寺院の框にすわりストゥーパをスケッチする白人の女性……などさまざまだ。
 もちろん、巡礼の信徒や祈りを捧げる地元の信者は引きも切らない。そして、土産物業者は、さまざまな言語をあやつり客を呼ぶ。モンキーテンプル、という別名のとおり、あいかわらず猿たちも人間同様この寺院に集まってきている。
 神々が住むこの寺院境内から、もやという薄い膜に隠されたカトマンズ市街を見下ろしていると、一時、俗世間を忘れてしまう。
 日中の日差しは思った以上に強く、汗ばむ陽気だ。しかし、日陰に入ると瞬間にひんやりとする。
 スワヤンブナートから、急な石の階段が麓までつづく。さて、喧噪のるつぼの “もや” のなかへ再び下りていくとしよう。(・o・)
(photo:スワヤンブナートにて)