本屋へ通う人

 じつは本屋が好きである。「じつは」というほどのことではないか。まあ、ふつうに本屋が好きである。人より少しそこへ通う頻度が高いだけなのだ。
 それで、日本へ帰ってから何度も足を運んで、たくさん本を買い込んだ。最近では、出かけても本屋の近くを通らないようにしている。寄ると必ずふらふらと買ってしまうからだ。これ以上買いだめするとまずい。
 中国では、ひとりだからよけいな家事もなく、たくさん本が読めるともくろんでいた。しかし、仕事と、意外に多いひとり暮らしゆえの雑用に追いまくられ、案外本を読むひまがない。
 がしかし、僕のような活字中毒者は、ある程度たくさんの本が座右にないと落ち着かないのである。血糖値が下がってきたときのようにぶるぶる震えて、飢餓状態におちいるのである。
 そこで、ここ2週間で買い込んでしまった本を寮へ送るわけだが、送料も考えるとずいぶんと高い本についてしまう。
 そのなかには、日本語関係の本も数冊ある。ああいう専門書はもともと高価だから複雑な気持ちだ。でも仕事に必要だからしかたがない。安い給料で、高価な本をバンバン買ってたんじゃワリに合わないのだが。
 日本語教師というのは、待遇がいい専門職ではない。不安定だし給料も安い。ましてや、中国ではたらいて、日本の家族を扶養するのは不可能である。連れ合いがフルタイムではたらいているからできることで、僕のような場合は「道楽」に近いかもしれない。
 泉州もそこそこ大きい町なので本屋もけっこうある。活字中毒者なので、気に入った数軒の本屋をときどきのぞく。やはり本屋は落ち着くが、店内のふんいきは日本と少しちがう。
 いちばんちがうところは、立ち読みスタイルだろうか。むこうの人たちは地べたに座って、腰を落ち着けて読書しているのである。堂々としたものだ。僕は、そんな人たちを跨ぎながら歩くことになる。思わず、すみません、などといいそうになる。
 日本語で書かれた本など語学関係以外にはないが、地図や旅行書のたぐいはけっこう買った。閩南語の本や客家(はっか)の本を買って、読めずに後悔した。活字バカは、することも間がぬけている。
 本屋でもときどき大声携帯に遭遇するが、さすがに痰をはく人は見たことがない。やはり本屋はいい。(^o^)
(photo:GODIVAはうまい)