隣人の問題

 中国にいると大変だろう、と、ときどきいわれる。いわゆる日中問題を背景にした見方である。
 あの尖閣問題がかまびすしい時期だったころでさえ、あちらで僕はいつもどおりの毎日を送っていた。単に鈍感なだけだったのかもしれないが、少なくとも、接する町の人々の様子に変化はなかった。
 じつは、あの漁船の船長は泉州市内の行政区、晋江市の人である。釈放されて帰ってきたときには、英雄あつかいされて町も沸いたらしいが、大きな反日行動はなかった。ときいている。
 CCTVでも反日デモなどのニュースは流れるが、おそらくそれは、ある程度仕組まれた報道だろう。ネット上の書き込みもしかりである。
 そういう一連の報道を見て気がつくことがある。中国は、日本に対して抗議のメッセージを発しながら、その背後のアメリカを強く意識しているということだ。だから、尖閣の事件から船長釈放、画像流失、そしてその後の騒動まで、すべて不自然な気がする。
 政治の裏舞台の謀略まではわからないが、日本のマスコミが流す一方的な報道に日本人はすぐに流されてしまう。おそらく僕も日本にいれば、なんだ〜あいつらは、と目を三角にしていたかもしれない。
 しかし、領土問題は解決がむずかしく、昨日今日に決着がつくものではない。ナショナリズムをあおり立てられたところで、一般国民にとってはなんの利益もない。
 ただ、中国は強い統制のもとにある程度国民をコントロールできる。北京オリンピックの直前に起こったチベット騒乱が記憶に新しい。
 僕が日本語ボランティアで関係していた中国人留学生たちも、日本国内での集会に参加していった。
 ちょっとびっくりしたが、その一方で、静観して参加しなかった人たちもたくさんいた。そのことに僕は少しほっとした。
 今、日中間は、なにか事が起こるたびに経済的な軋轢があったり、旅行者が滞ったりと、ずいぶん振幅の激しい間柄となっている。マスコミのアンケートをみても、そのときどきの状況が敏感に反映された結果が出てくる。
 つまりは、隣人同士にありがちな愛憎相半ば、お互いの理解不足からくる無意味な緊張があるのだろう。
 などと、隣人の懐に入った半年で、そんなことを思ったりするのである。(-。-;)
(photo:車窓からの敦賀市