日本菜をつくる

 大学へ通う子どもたちのアパートを見に行ったときは、その単身者用のずいぶん貧弱な自炊設備におどろいたものだ。
 しかし、そんな台所でも、僕は自分の寮にほしいと思う。あそこにあるのは、小さな洗面台がひとつである。それも、シャワーとトイレがいっしょになった部屋の片隅に。
 まさか便器の蓋のうえで、野菜や肉をきざんだりするわけにもいくまい。残骸はすぐ流せるからいいかもしれないが、できた料理がおいしく食べられるか問題である。
 中国では、いまだかつて自炊したことがない。同僚の先生のなかには、窮屈さと格闘して憤然と実行しておられる方もいる。頭が下がる。
 そんな先生とはできるだけ仲よくするようにしている。よこしまな気持ちなどもちろんないのだが、ときどきおこぼれをいただく。
 僕は、料理するのがワリと好きなほうではないか、と自負している。めったにジフはしないが、ジフのしかたを忘れるといけないので、ときどきジフをする。とはいえ、ジフをするほど上手ではないが。
 帰国して毎日、家族のお客さんではいけないと思い、ぼちぼちと晩ご飯をつくっている。まずはカレーである。食べたかったのである。中国にはないので、レトルトを送ってもらって食べているが、やはりちゃんとしたカレーを食べたい。御飯もちがうし。
 次はピザトーストをつくった。あちらでは、チーズなど乳製品の普及もまだまだだから、したがってこれも久しぶりだ。そして、今晩は鍋焼きうどんである。中華菜も添えようか、と思っている。調子が出てきた。
 しかしこれでは、子どもが好きなものばかりではないか。あまり自慢できないな、とふと思う。
 ひるがえって、中国の子どもが好きな料理はなんだろう、と考えてみる。以前学生たちにきいてみたことはあるが、日本の子どもほどはっきりした傾向はなかった。
 甘いものにしてもそうである。子どもは甘いものが好き、というようなステレオタイプな思考になりがちだが、中国の事情はけっしてそうではない。
 ときどき、そういう国や文化のちがいを忘れて学生に接すると失敗する。スキヤキの生卵などは御法度である。スキヤキをおしえるときは注意が必要である。中国では、卵を生で食べない。病原菌を持っている確率が高いからだ。
 ゆめゆめ “日本文化の伝道師” などとジフしてはいけない。(^^ゞ
(photo:雪の高山)