精神性のちがいのこと

 安渓県の朝の川縁を散歩していた(2010.12.28の記事参照)。寒いけれどいい気分だった。立ち止まって、行き交う人々をながめているだけで気がなごんだ。
 ところがそのとき、あることを感じた。正確にいえば、そのときはじめて感じたわけではないが、またふと感じてしまったのである。
 ある年代を境に、どうも人々の雰囲気がちがうような気がするのである。それは、気のせいかもしれないし、僕の先入観のせいかもしれない。しかし、その境というのは、文革文化大革命)ではないか、というような気がするのである。
 老人は、文革をふくめて大混乱の時代を経験してきているのでもちろんのこと、比較的若い世代にしても、50代以下の人々とは明らかに佇まいがちがうように思うのである。
 それは、ちょうど戦争を経験した日本人に通じるような感じだろうか。僕たち戦後世代は、あの戦争を生き抜いた人たちのある種の精神性には、どうしてもかなわないところがある。
 中国の人々にも、ときどきそんなどこか高みに達した精神性を感じてしまうのである。
 文革というと、今もって全体像が明らかにされていないが、スターリンの粛清やポルポトの大虐殺に匹敵するか、それ以上の痛みを国民にあたえたといわれている。
 世界的に有名な映画監督のチェン・カイコーの著書に『私の紅衛兵時代』(講談社現代新書/1990年)という本がある。そこには、あまり知られていない文革時代の中国の一端が描かれている。自身の体験をもとに書かれているので、とても読みやすい。
 日本というシステムもいろいろガタがきているが、一応今は平和である。そんな時代を生きる僕たちは、辛酸をなめた先達にはやはり感謝しなければいけないのだろう。そして、歴史から学んで、伝えていかなければいけない。
 今日は身の丈に合わないことを書いてしまった。背中がかゆくなってきた。チンタオビールでなおるかしら。(^_^;
(photp:安海鎮の通りにて)