これも「元旦」

 まったく昨日の延長である。土曜日だから休みだが、たまった仕事をこなすために出勤した。これもいつもの休みと変わらない。
 ちまたでは、今日もまた解体された肉があちこちの路上で売られ、これまたいつものように果物を売る行商のおばさんとも顔をあわせる。
 しばらく雨を見ていないためか、今日はからっ風が吹きすさび、気温のわりには寒く感じる。数日前に刈った髪や首筋が寒く、肩をすくめて歩いていると、いつのまにか道行く人々は冬装束になっていた。ということに気がついた。
 こんないつもと変わらない日が「元旦」である。じつに素っ気ない。学校で仕事をしていても違和感がない。3連休なので、帰宅した学生たちも多く学校は静かだが、それとてべつに正月とは関係がない。
 まあ日本人としてはいささかさみしい正月ではある。おせちを食べて朝から飲んだくれて、などということもできない。そういえば、年賀状の楽しみもない。
 じつは、去年の暮れまでずっと年賀状がなやみのタネだった。もしかして家族がなんとかしてくれるかも、という甘い期待をいだいていたが、家族には端からその気はなかったようだ。家族への教育をまちがっていた。
 ひとむかし前なら、中国くんだりにいてはどうしようもなかったが、今はどこまでも追いかけてくる、パソコンを持っている限りは。そして、年末まで年賀状につきまとわれ、ついにはうわごとまで発していた(ハズだ)。
 やはりこんな世の中に身を置くと、年賀状への使命感など湧かないのである。しかし、ようやく危機は脱した。そうとうなエネルギーを使った、着手するまでに。出来はいたって平凡になったが。特筆すべきものもなかったが。
 大事なことが最後になりました。これも正月感がないせいです。
 あけましておめでとうございます。
 旧年中はたいへんお世話になりました。今年もまたよろしくお願いいたします。_(_^_)_
(photo:文廟にて)