師走・有情

 師走も終盤である。キリスト教のあの聖なる日も近い。日本ではさぞうるさいことだろう。毎日のようにどこからかY下T郎のあの歌が聞こえ、聖なる定番曲がいたるところから流されている。
 今の時期ばかりは日本にいなくてよかった、と思う。しかし、日本人の節操のなさはまったくいかがなものだろうか。次は2月のアレだし。
 しかし、考えてみるとキリスト教ばかりではないか。イスラム教やヒンドゥー教なども取り入れないと、そろそろ関係者からおしかりを受けはしないか。無節操民族の名がすたるというものだ。
 たとえばラマダンとか、牛を食べない日とか、豚を食べない日とか、五体倒地をする日とかつくればおもしろい。でもそうすると、おもしろくない人々もいそうだからむずかしいか。鶏だけ得をするから文句が出たりするかもしれない。
 キリスト教文化偏重は、欧米追随でやってきたからしかたがない面もあるが、旧来の日本の宗教文化はいったいどうしたのだろうか。生彩を欠いているのではないのか。このままでは韓国のように、洗礼を受ける人々が続出してしまう。天上からフランシスコ・ザビエルの高笑いが聞こえてきそうだ。
 宗教心は薄いが一応浄土真宗の僕は、そのように現状を憂いている。
 ひるがえって、こちらは平和なものである。若者は欧米文化に染まりつつあるが、広く家庭にまで浸透してはいない。もちろん、町中にジングルベルなど流れてはいないので、ほっとする。まあ一応共産主義国家なんだから。
 というわけで師走感はゼロである。まったくの日常。というか、いつも人々はせわしないので、年中師走なのかもしれない。しかし、あと一ヶ月あまりたてば様相は一変するはずだ。
 民族大移動がはじまる。そう、旧正月。2月3日である。僕は脱出する用意がある。年に一度の喧噪を体験してみたい気もするが、考えただけで疲労するのでやめにする。
 僕も今回は旧正月である。もちろん日本で。(O_O)
(photo:A県の文廟にて)