あうんは中国に合うん?

 これまでこのブログにコメントを寄せていただいた方々には、いつも励まされてきました。ほんとうにありがとうございました。
 じつをいえば、けっこう苦しい日もありました。一回パスしようかな、と思ったことも何度かあります。でも、パソコンを開いてこのアドレスに立ち寄ってくれる方々のことを考えると、やはり締め切りは守ろうと思ってやってきました。
 ある著名な編集者は、「がんばっている◯◯クン(彼の名前)がステキ、といってくれる女性がひとりいれば、それだけでがんばれる」といっていた。
 僕はそんなキザなことはいえないが、たしかに支えてくれる人がいればがんばる力になる。自分一人での起承転結は、なかなかむずかしいものだ。
 ところで、日本は高コンテキスト文化の国だといわれているが、いわゆる「あうんの呼吸」は徐々に乱れてきている。
 「ふろ、めし、ねる」の時代は終わったのである。今日の料理はおいしいよ、といわなければいけないのである。毎日ではだめだけど。ずっと以前、それで連れ合いから怒られた。後年、立場が逆転してその気持ちがわかった。
 さて、中国の学生たちが恐いのは、親ではなく先生である。それだけまだ先生の権威が残っているといえる。儒教の名残なのだろうか。でも日本の親と同じように、学校に子どもの躾を期待する親が増えてきている、ときく。
 中国の若者の素顔は日本とさほど変わらない。教師がきちんとコントロールしないと規律からすぐに脱落していってしまう。あうん、は通じない。真剣勝負である。会話はもどかしくても、信頼関係をつくることができれば大丈夫だろう。
 支え合う、というと変だが、異国での仕事と生活は、じつは教師も学生に支えられている、といえるのである。がしかし、今日も「ふろ、めし、ねる」は自己責任である。(;_;)
(photo:この町には古い建物がたくさん残っている)