一人の問題
夕方寮に帰ってチンタオビールを開ける。まあひとつの至福のときである。
しかし、至福はすぐに終わる。缶ビールの一缶なんてすぐである。もちろん追加摂取してもいいわけだが、たいがいはやめにしておく。初期の感動はもう味わえないからである。
それが「一人」ということなのだろう。せきをしても一人。おならをしても一人。シャワー室の段差でつまづいても一人である。歩く背中から寂寥感がにじみ出ているかもしれない。……そういえば独り言も多くなったし。
などと書けば、哀愁がただようさすらいの一人暮らしを演出できるのだが、じつはそんなことを感じるヒマもなく日付が変わっていく。ふと気がつくと師走である。しかし、12月でなくとも師はいつも走っているのである。
半年前までは、自営業を営んでいた僕は仕事がなくて、抜いた鼻毛を机のうえに並べる毎日だった。なまけ癖もついていたので、今の忙しさなど思うべくもなかった。
で、ときどき買ってきた総菜をつまみにビールを飲んでいると、ふと油まみれの肉や野菜がふしぎなものに見えてくるのだ。キミたちはどうして今こんなところで、怪しげな日本人の胃袋におさまろうとしているのか、と。
まあ、ずいぶん哲学的な思索ではある。料理された肉や野菜に一期一会を感じることもないが、そしてそこでやはり「一人で食べる」ということを考えてしまう。
おいしいものは食べたい。しかし、何がおいしいものだろうか。
そんなことは以前からうすうす気づいてはいたが、おいしいものはおいしい料理ではない。何を食べるかではなくて、誰と食べるか、なのだろう。
これまで食べたおいしいものは……と思って振り返ってみると、食べた料理よりも誰と食べたか、ということがまず思い出されるのではないだろうか。
たぶん、一人で食べているときには、僕は寂寞オーラを発しているにちがいない。それはしかたがない。慣れた。でも、夕飯が待ち遠しくてしかたがない、などという状況になれば、それはそれでまた別の問題が発生したことになるのである。(-。-;)
(photo:3人寄れば寂しくない? 訪問した高校にて)