音と声の休日

 あれはまさしく鶏の断末魔の声だった。とても悲しげで哀れな鳴き声だった。なんだか耳の奥にのこった。
 明け方うとうととしていたが、あれで目が覚めた。ときどき聞こえるけれど、今朝のやつはちょっと感情移入してしまいそうだった。
 学生に「声」と「音」をおしえると、おもしろい答えがかえってくる。「風の声」などはまだ詩的でいいが、「鳥の音」になると、さしずめ屋根裏に入り込んだスズメが、出口をさがして右往左往している状況だろうか。
 先週の日曜日などは、一日中騒音になやまされた。残務があったので学校で仕事をしていると、近くの寺院で盛大なバクチクが鳴り響いた。朝から鳴っていたが、寮の部屋はまだ少し遠いのでさほどではなかった。でも、学校はすぐ近くなので直撃である。
 寺院はちょうど「節日」といって、記念日あるいは祭日にあたる節目の日むかえていた。前回と前々回のこのブログの記事の写真にもつかった、伝統芸能も連夜おこなわれた。
 おめでたいのはわかるが、そう断続的に大音量でやらないでほしい。その音で興奮したのか、近くの共同住宅で飼われている大型の鳥(声を聞くかぎりでは)の鳴き声が、またいつになく鋭角的で神経を逆なでする。もっとやさしい鳴き声の鳥を飼ってほしい。
 これはいかんと思って、寮に帰って仕事をすることにした。しかし、ここでも騒音が待ちかまえていた。となりの共同住宅でおおがかりなリフォーム工事をしているのだが、その工事の電ノコなどの音、というか、じつは工事の連中の声がうるさかったのである。
 なにかトラブっているらしく、大声でのやりとりが聞こえ、ときどきは怒号がまじったりしていた。あれじゃあ、とてもいい仕事ができているとは思えない。作業員もイライラして、ちっやっとれっかい、などとつぶやくつつビスをテキトーに間引きしたりしているのにちがいない。
 しかし、僕たちの寮もずいぶん雑な造りと内装である。日本でも手抜き工事はあるが、そんなレベルではなさそうである。
 2、3年前、寮のある部屋の天井壁が落ちたそうである。ちょうどベッドの上だったが、昼間だったので事なきをえた。
 やっぱりな、と思いながらその夜ベッドに入って、ふと天井を見た。そこには、あきらかに修復した痕跡があった。(*_*)
(photo:鍋料理の季節である)