気がかりな晩

 夕暮れの山々を、車窓からぼんやり眺めていたけれど、Dの心はそこにはなかった。
 風邪をこじらせて具合がよくなかった母を残してきたことが、後悔の気持ちとともに、棘のように胸に刺さったままだった。彼女の心はまだ実家にあった。
 学校を休んで母の看病をしたい、といえば反対されると思っていた。だから、S市の学校へ帰るいつものバス時間が近づいていたけれど、いい出すことができなかった。
 せめて、夜の最終バスで帰ることを思いつき、そのことをやっとの思いで母に伝えた。しかし案の定、母はベッドから上半身を起こしてDを叱責した。
 一日や二日休んだって、わたしなら取りかえすことができる、Dは母にそう訴えたが、聞き入れられなかった。母にとってみれば、やっとの思いで出した学校を娘が休むことは、自分の病気よりも重いことだった。
 にぎやかなS市の街の明かりが目に入ってきた。バスを降りれば、また日本語づけの毎日が待っている。
 足取りは重かった。商店街の喧噪や車の音、行き交う人々の話し声。Dは、そんな宵の口の雑踏とは無縁に歩いていた。
 いつもならほっとするはずの寮の明かりも、今のDにとっては少し煩わしいものに感じた。学友たちと同じ世界に入っていく心の準備ができていなかった。
 門のところで立ち止まっていると、守衛のYさんに声をかけられた。Yさんは穏和でやさしく、故郷をはなれて暮らす学生たちにとっては、実のおじいさんのような存在だった。家族のようなぬくもりも感じさせるからだろう。
 Dは思わず守衛室にかけこんだ。Yさんからあたたかい饅頭を勧められた。
 そういえば、昼から何も食べていないことに、Dははじめて気がついた。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 日曜日の晩、僕は資料を取りに学校へ行った。その帰り、守衛のYさんにあいさつすると、部屋に人影が見えたのでのぞいた。
 こんばんは、と小さな声がした。クラスのDだった。少し元気がない様子だったので、どうしたのかと聞くと、にっこり笑ってかえしてきた。しかし、Dの大きな目は、いつもの涼しげなやさしい目ではなかった。
 そのことがしばらく気にかかり、こんなストーリーを勝手につくってしまった。いささかベタな話しで申しわけないが。で、「ーーーー」より上はフィクションです。対不起。おわり。(^^ゞ
(photo:たまには花の写真を。名前は未調査ですが)