毎日の食べること(その2)

 朝がた腹を下し、じりじりと迫り来る出勤時間までのタイムリミットと戦う。……そんなことが最近めっきりなくなった。
 まことに喜ばしいかぎりでありますが、貧弱な食生活はあいかわらずだ。したがって、落ちた体重はなかなか元にはもどらない。ズボンのベルトをしっかり締めるともんぺのようになるし、ズボンのウエストにベルトを合わせると、ずるりと下がり落ちそうになる。
 日本の若者に流行する “腰パン” 状態になりそうだ。それは考えただけで鳥肌が立つというもんだ。自分がじゃなくて、人が見てだが。
 この「鳥肌」。最近では、感動したときを形容することばとして老若男女に使われているが、あれは本来、怖い目にあったときに表現することばである。
 気になるものでいえばもうひとつ、「役不足」。力量以上の地位や役目を与えられた、と謙遜してつかわれるケースが多いが、元々はその逆である。役が軽いと思い、不満をもったときに使うことばである。
 横道にそれてしまった。
 さてその食生活であるが、孤食となるとやはり総菜屋にたよるほかはない。このあたりの店のシステムは、だいたい同じである。たくさん並べられている料理ごとのバットから選ぶのである。
 店の人が皿に盛ってくれるわけだが、2品3品指定しても、下町ではだいたい一皿にいっしょくたに盛られる。どうせみんな油の海に浮いているから、あまり違和感は感じなくなった。それよりも、料理の上で客や店のおやじやおかみが口角泡を飛ばす、そっちのほうをなんとかしてほしい。
 それにご飯もしくはお粥、湯(タン=スープのこと)で10元までにおさまる。肉系が多いと10元以上になる。それでもときどきは、ラーメンや炒飯が食べたくなるのでその方面の店に入るが、まあ炒飯はともかく、麺類はあまりおいしいものに出会ったことがない。
 それから、考えないように封印していることのひとつが、食品の安全性。ここで暮らす以上は抵抗してもムダだ。加工食品はもちろんのこと、肉、野菜、果物類の生産現場は見たくない。
 しかし、ときどき肉の解体現場は目にするし、田舎に行ったときは、公共厠所から直接アレをくみとって、そのまま畑に散布しているのを見た。鳥肌が立った。(○_○)
(photo:秋の空)