懐かしの麗君

 テレサ・テンといえば、ある年代以降のおじさんは、懐かしさとともにあのふっくらとした穏和な顔を思い浮かべることだろう。カラオケに行けば、まだかなり歌は残っているものの、日本ではもう過去の人である。
 しかし、中国ではそうではない。テレサ・テン、中国名 麗君(デン・リージュン/デンは登におおざと)の名は、いまだに人々の間に息づいている。おじさんだけではないのである。若い子たちも知っている。なにも音楽産業が貧困なわけではない。今の中国は、最新のヒット曲やアーティストにしても、日本以上に活況である。
 タイのチェンマイで不幸な死をとげてから、すでに15年がたつ。なのになぜテレサ・テンは生きつづけているのか。
 改革開放がまだ軌道に乗るまえ、抑圧された民衆の間に、この台湾出身の大スターは徐々にブレイクしていった。娯楽が少なかった時代ゆえに、その浸透度ははかり知れない。しかし彼女は、天安門事件で民衆の側に立ったことから、歌は放送禁止となる。
 ところが、そんなことであきらめる国民ではない。「国に政策あれば人民に対策がある」といわれるお国柄、地下にもぐってますます民衆に浸透していった。おそらく80〜90年代前半ぐらいまで、国民歌のようにスタンダード化していったのだろう。
 もちろん、日本でのテレサ・テンの顔は一部である。彼女の本領は、やはり中華圏での活躍にある。とくに、1983年発表のアルバム『淡淡幽情』は傑作中の傑作だ。中国古典詩に曲をつけるという、彼女が以前からあたためていた企画が実現したアルバムである。だから力の入れ具合がちがう。今聴いてもまったく色あせていない。
 ビートルズがいつまでたっても売れつづけるように、テレサ・テンの歌にも普遍性がある。浸透する土壌があったとはいえ、そこに人気の秘密が隠されているのかもしれない。
 中国では、欧米のいわゆる「洋楽」はあまり受け入れられていない。日本人のように、英語がわからなくとも “ノリ” で聴くようなことはしないのだろう。
 てことは、僕もテレサ・テンをノリで聴いているのか? いやいや、ロックではないんだよ。あの歌声は中国語の音韻にぴったりなのですムニダ。(^。^)
(photo:バス溜まりにて)