たまたまたまたま

 赤い糸、といわれるものがある。目に見えないから、実際にあるのかどうかはわからない。
 人は他人といろいろな “糸” でつながっている。3D画像が大流行だが、そのうち、そんな “糸” が見える特殊なメガネが開発されるかもしれない。
 まあ、それはSFの世界だが、しかしそんなものができると弊害のほうが大きい。たとえば、世界中の男女関係は、たちまちたいへんなことになり、各地で誹謗、中傷、口論、暴動、略奪、刃傷などが起こりかねない。
 赤い糸が運命かどうかはさておき、僕たちは自分の身のまわりに起きることを、けっこう「たまたま」と思っている。電車で、たまたまとなりに座った人と結婚した。たまたま買った宝くじが当たった。などなど、大きなできごとにはこの「たまたま」が効果的だが、じつは毎日起こることもたまたまの連続なのではないだろうか。
 そのように考えると、たまたまはほんとうにたまたまなのだろうか、と思ってしまう。
 たとえば、僕はたまたま日本語教師になった、といってしまうとそのうらには、べつに熱烈希望していたわけではないけどね、というある種の客観性が演出される。まあ、仮にそうだとしても、そのたまたまの背後には、明確な意志が存在しているのではないだろうか。
 かつて僕はグラフィック・デザインの仕事をしていた。請け負った仕事はいろいろあるが、ポスター制作の仕事をもらったときには、ふだんあまり気にとめなかった街のポスターが目に入ってくる。パンフレットも同じ。あるいは、欲しい車があれば、その車種がやたら目につき、町中急に増えたように感じる。
 そういう動機づけを、いつのまにか自分のなかで、全方位的にやっているのではないだろうか。
 で、たまたまはたまたまではない、としたら……インドへ行ってアガスティアの葉でも見てこようか。それはやめよう。生きることがつまらなくなってしまう。
 今日僕は、学校の帰りに学生に拿捕されてバドミントンをした。思わず熱中してしまった。明日は腕が上がらないかもしれない。これもたまたま? (^_^;
(photo:市内には古刹がたくさん)