音の最時期

 このまえ日本に帰って思ったことがある。日本はこんなに静かな国だったのか、と。
 もちろんそれは相対的なものであるが、いいかえれば僕は、中国の騒音や喧噪に慣れたということなのだろう。
 日本にいるころは、なんとうるさくておせっかいな国なんだろう、と思っていた。たとえば、いろいろな場所での機械によるアナウンスや挨拶。駅の構内放送や選挙カー、物売り、カーナビ、着メロ……。
 わかってはいたが、中国はその比ではなかった。
 車のクラクションやバイクの警笛は、鳴らすためのものらしい。2輪車を駐車するときに、頑丈なキーをかけるのだが、そのロック音たるや5種類ぐらいの警報音がセットになっているものがある。実にけたたましいし、長い。だいたい皆大音量である。
 いつぞやは、寮の駐輪場(1階がレンタル駐輪場)に駐めてある一台が、夜中に突然鳴り出して止まらなくなり、そのせいで寝不足になった。でも、くやしいかな、慣れてきた。
 夜中といえば、爆竹も困る。これもときどき大音量で鳴りひびく。昼でもうるさいのに、夜はたまらん。現場が近いと、すわ爆撃か、と思ってしまうほどの過激さだ。葬式でも爆竹を鳴らす。
 このS市では一応爆竹は禁止されているらしい。それでこうだ。しかし、中国人にとって、爆竹はとても大切である。とくに慶事には、自分たちの繁栄を周りにアピールするためのセレモニーとして、たいへん重要らしい。
 ともあれ、あれはいきなり鳴りひびくから始末がわるい。心臓にわるい。少し寿命が縮まったかもしれない。でも、悲しいかな、慣れてきた。
 携帯電話。ところかまわずだ。食堂のうしろの席からの大声。本屋のなかでもかまわない。トイレのなかでもあたりまえ。バスのなかは阿鼻叫喚。メールなんていうセコセコしたものは好まれない。直接対決である。まあ、その姿勢は評価できるがなぁ〜。
 しかし、慣れとは恐ろしい。慣れたくない。我是日本人。(+_;)
(photo:裏通りはタイムスリップ)