散歩の方法

 外国人に日本語を教えるようになるまで、考えたこともなかったことを、日々考える。因果なところに首をつっこんだものである。
 たとえば、若い人がよく使う「ちょっと教えてもらっていいですか」「見せてもらっていいですか」などの、この「〜てもらっていいですか」といういい方が気になったとする。それは日本語のゆらぎの問題である。
 しかし、日本語学校の学生から受ける質問は、そういうレベルの問題ではない。
 「公園(  )散歩する」というテスト問題のカッコに助詞を入れる。前後に状況を固定する文があるので、答えは「公園(を)散歩する」だが、「公園(で)散歩する」とした学生から、どうしてバツなのかと、食いさがられた。
 たしかにその一文だけ取り上げればバツではない。しかし、初級者が理解できる限られた語彙で説明するのはとてもむずかしい。
 助詞が少し理解できた段階で必ず出てくる質問に、「は」と「が」のちがいがある。たとえば、「彼が来ました」と「彼は来ました」のちがい。
 そもそもこれは助詞の種類がちがうのだが、そんなことを説明してもしょうがない。この場合は、話し手と聞き手が、そのことについて既知情報か否かである。それを学生に、図解、身振り手振り、つたない媒介語(中国語)を使って説明する。
 「は」と「が」のちがいは、ほかにもいろいろなケースがあるのでやっかいだが、とにかく助詞については学者先生にだってむずかしいのである。
 そんなこんなで、僕のようなおおざっぱ日本語教師は、ときには答えに窮して土俵ぎわまで追い詰められることもある。質問を受けるのは楽しいが、いつでも奇襲攻撃に備えていないといけない。
 なかなか理解できない助詞ではあるが、同じようにいつまでたっても理解できないものがある。もう一度変換するとかんたんに出てくるのだ。「女子」。(^_^;)
(photo:元気な女子。踊るおばさんたち PART2)