テキトーと適当

 「加油!」は北京オリンピック以来、日本でも知られるようになった。ジャァヨウ! がんばって!
 がんばることは、日本人は大好きだ。いつもがんばらなくてはいけない。がんばってください、は挨拶がわりだ。いわれてときどき思う。何をがんばればいいのか、まだがんばらなくてはいけないのか、と。
 ときには「じゃあまあテキトーに……」でもいいではないか。そのほうが気楽だと思うがなぁ。などというと、がんばる人からしかられそうだが。
 『がんばらない』という本で有名になった鎌田實の著書に『いいかげん』というべつの本がある。著者の意味するところは「いい加減」である。いいかげんな男、いいかげんな仕事、のように使う「いいかげん」ではない。その考えには共感する。がんばらないの延長である。
 僕は「適当」という名詞・な形容詞(形容動詞)も好きである。やはり「いい加減」につながるからだろう。でも、テキトーと書くとずいぶんランクが下がる。僕は、どうもそっちのカタカナの方だと思われているフシがある。そのとおりですけど。
 先輩のY先生が任期を終えて帰国された。Y先生は、日本人教師のなかでもエース級の実力者だったので、その穴は大きい。
 じつは、帰国される最後の週はたいへんだった。休み時間といわず放課後といわず、Y先生は両手に花、どころかかかえきれない異国の花に囲まれていた。娘のような歳の子たちとはいえ、奥さんが見ると心穏やかではなかったことだろう。……これが男子だとちょっとシュールだが。
 そのY先生が、じつにいい加減で適当な方だった。日本語を教えることをとても楽しんでおられ、学生とのコミュニケーションは、舌を巻くほどたくみだった。
 教えることに長けた人はたくさんいるが、それだけでは日本語教師はつとまらない。仏つくって魂入れずである。全人格が日本語教師。一挙手一投足が日本語教師。そのひとことが日本語教師である。
 しかし困ったことがある。Y先生のクラスを引き継ぐ僕は、先生の残像と残り香を消すことに腐心しなければならない。
 帰国したらビールでもおごってくださいね。チンタオビールでいいですよ。(^_^)b
(photo:裏通りの喧噪)