ボディブローと自重

 アジアのいくつかの国を旅行してきた。ほとんど仕事のあいまの休日を利用しての旅だから、せいぜい長くて1週間から10日程度である。
 そのぐらいなら、何か不測の事態がおこったところで、我が島国へ逃げ込めばいい。カトマンズ赤痢を発症し、ふらふらになりながらなんとか帰国したこともあった。
 でもあたりまえだが、その地で仕事をし生活するとなると、まったく事情がちがう。ムリは禁物なのである。
 僕は今、洗礼をうけている。この地の夏を甘くみていた。あと一発ボディにもらえば、倒れていたことだろう。ゴングに救われた。おろかにも、けっこう真正面から戦ったせいだろう。トシも顧みず。
 しかし、日本にいればよかった、と思ったことはない。
 たとえば、宝くじで1億円当たったとする。そのお金を貯金してチマチマと生活費に使う人と、ギャンブルに投じて、あげくにすってしまう人と、どちらが幸せか。
 後者を、バカだなと思うかもしれないが、あながちそうともいえないだろう。大金を賭けて見る夢の、その瞬間の幸福感ははかりしれない。もしかして、生活費の目減りを気にしながら生きていく前者よりはるかに充実した人生といえる。
 旅行だってそうである。小さなトラブルが重なって、1日ただおろおろしていただけで、行きたいところに行けなかった。ということがあっても、案外そのことが味わい深く印象に残っていたりする。でも、それが旅の本質だろう。予定が決められた観光旅行では味わえない充実感があることだろう。
 日本で僕は、自営業を営んでいた。やめたつもりはないが、当然ながら今は休業している。日本経済の動向に忠実に、僕の仕事はなくなっていった。そうするといつのまにか、預金残高ばかり気にするようになっていた。すぐさま路頭に迷うわけでもないのに、である。
 日本語学校の仕事はきついし、給料だって安い。生活の不便なことといったら、日本の何倍ぐらいだろうか。じつに振幅の大きい毎日だ。
 でもふしぎなことに、夏バテの身体を引きずり、肩で息をしながら夕方宿舎へ帰ったときの疲労感も、くるりと反転して充実感となる。
 じつは、冷たいアレをプシュッとあけてプハ〜とやりたいところだが、今は自重している。うまく洗礼をくぐらないといけないからね。( ^-^)_旦~
(photo:バスを待つ)