通過儀礼

 別れとはつらいものである。とくに “身内” ともなればなおのこと。
 今は反省している。コミュニケーションがたりなかったと思っている。朝晩はまったくかまってやらなかったし、スキンシップといえば2〜3日に一度、それも義務的だった。
 でも、僕がきらいになって去っていったわけではない。それは確信している。けなげにも、姿を消すまえに別れを惜しんでくれるのだ、シャワー室の排水溝の網のうえで。
 閑話休題ーー。
 今日は食料を買わないといけない。と思って、行くべきスーパーを頭にえがく。
 笑顔がすてきな、ちょっとチャン・ツィーイー(普通話発音ではチャン・ズーイーが近い)に似ているお姉さんがレジにいる。なんていう理由でもないかぎりはスーパーを特定しない。それがふつうだと思う。え? ふつうじゃない? まあ、人それぞれだ。
 しかし、ちょっと困った。ことは、床屋だ。
 これは「行きつけ」が大きな意味をもつ分野である。そうなのだ。行きつけの店を失ったのだ。黄昏状態のあそことはいえ、手入れをおこたってはならんからのう。まだまだT村S司には勝っている。M添Y一はずっと先を走っているし。はは……
 国はちがえども、一見さんにはやはり敷居がたかい。
 近所の、クーラーが効いていそうな店をえらんだ。2〜3回、小さな店のまえを行ったり来たりした。夫婦でやっているようなかんじだった。
 ニイハオ。つづけて、練習してきた文をしゃべった。でも、奥さん(と思う)はかたい表情をしたままだった。で、筆談をした。Before&Afterの絵までかいた。しかし、彼女はニコリともせずになにかしゃべると、作業いすにすわるよう指示をした。
 10分。8元。
 10元札を渡した。おつりはいらないと伝えた。でも、奥さんは眉をピクリとうごかせただけだった。謝謝! <(_ _)>
(photo:宋時代の媽祖廟、天后宮南門の天井)