旅の痛み

 20分が限界だと思った。路線バスの “シート” にがまんできる時間である。
 だいたいあれは “シート” と呼べるシロモノではない。ベンチである。野球場の観客席のようなプラスチックのベンチ。一般席がブルー、優先席がオレンジ。
 先日、郊外の遺跡を見にいった。近くまでバスで40分。市内から郊外の要所をつらぬくメインルートの路線らしく、車内は市内をぬける前にすでに満員となった。
 その路線の運賃は一律ではなく、ある地点より以遠は高くなる。そのおおざっぱな区切りかたもいかがかと思うが、そのためワンマンの運転手は、乗りこんでくる客にいちいちどこまで行くのかきかなければならない。事前申告の前払いだからである。
 だから、運転手は停まるたびにいそがしい。しかも客はいうことをきいてくれない。イライラした運転手が大声をはりあげる。客も負けてはいない。そして、怒号がとびかう車内。
 道ゆくのはクルマやバイク、三輪リキシャー、ときどき人。そのすべてが、譲るということを知らない者たちである。どうもこれは、この国の人たちがとりわけ大事にする「面子」とかんけいがありそうである。
 そんな事情で、急ブレーキ、急ハンドルの連続である。そのたびにとびかう客の怒号。いい返す運転手。ますます荒くなる運転。なかなかスリリングである。……などと傍観している余裕は、じつのところなかった。
 あのとき僕は、いちばんうしろの席に座っていた。でも、これが失敗だった。僕の身体は、荒っぽい運転による前後左右運動だけではなく、バスの仕様と道路事情による上下運動が加わった3D状態にさらされたのだ。
 終点で、腰を折りまげ、尻をおさえてバスからおりた。
 弛緩した空気の集落のなかをぬけて、歩くこと10分。11世紀、北宋時代につくられた石の橋が姿をあらわした。海上につくられたその橋は、湾の対岸までかけられている。いまだに現役である。
 石の欄干にもたれかかり先人の偉業を思ってみた。しかし、そんな甘っちょろい詩情などは、ほこりまみれの熱風にかき消されてしまった。(v_v)
(photo:洛陽橋)