しゃかいのまど

 「先生、ベルと鈴はどうちがうのですか?」
 「えっ? そ、それはな……ベルは大きいんだ。鈴は小さいし」
 「じゃあ、神社にあるのはベルですか?」
 「うっ……」
 学生のL君から質問をうけた。日本でベストセラーになった本『日本人の知らない日本語』の世界が、日常茶飯事のようにてんかいする。
 日本語教師は、奇襲攻撃のように思わぬ質問にさらされる。日本人ならあたりまえのことでも通らない。日本人が日ごろ考えたこともないようなことをきかれるのである。
 「そういうふうになっているんだ」と回答すればただちに教師の信用は失墜するので、いいかげんに対応してはいけない。教師がまだまだ尊敬されているお国柄とはいえ、学生の教師をみる目もシビアなのである。
 しかし、日本語教師のおもしろさはそんなところにある。
 中国人はあいそう笑いをしないので、最初は未確認生物のようだった学生たちとも、彼らが日本語をおぼえるにしたがって、少しづつコミュニケーションがとれるようになる。ちょうど、薄いパイの生地を少しづつはがして食べるような感じである。
 未知の物体だった学生たちが人間にみえてきて(むこうもそうだろう)、光りかがやく鉱脈がずっと奥までつづいているように思えてくるのだ。
 日本語教師は、彼らの日本へのいわば「社会の窓」だと、僕は思っている。カッコウの託卵のように、僕たちは親になって卵をヒナにかえし、日本や日本語の世界へといざなう。
 おお、なんとすばらしい。でも、そんなたいそうな使命感など持っていないけれど、日本のことが好きになってくれればうれしい。
 そして「窓」から彼らを、次のステージへと送り出すのである。でも、あけた窓はちゃんと閉めないといけないのである。(-。-;)
(photo:裏通りにて)